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商品の説明

色名:100枚#01

 商品情報

  • カラー:多色/混色
  • マスクサイズ:子供用マスク14.5cm*9.5cm

注意:

  •     マスクを着用中、臭いで気分が悪くなった場合には使用を中止してください。
  •     乳幼児の手の届かない場所に保管をしてください。
  •     皮フに異常がある場合や、異常が現れた場合はただちに使用を中止してください。
  •     高温多湿な場所、直射日光の当たる場所での保管は避けてください。
  •     個人差により、眼鏡がくもることがありますので、運転の際などは十分に注意してください。
  •     使用後は地方自治体の区分に従って捨ててください。

 ◆【3層構造保護】高品質の3層フィルタークロスフィルター設計により、健康を守るできます。不織布、フィルター素材、極細の柔らかい繊維で構成されており、通気性に優れています。鼻、口、あごを完全に保護します。ノーズフィットと全方位フィット構造の搭載で隙間を作りにくい!「通気フィルタ」で息ラクラク。日常生活に影響を与えることなく、すべての季節で使用できます。 ストラップは調整可能で、長時間装着しても肌に疲れやストレスを与えません。

◆【3D設計でぴったりフィット!花粉もブロック!】口に張り付かない立体設計で息らくらく。 耳が痛くなりにくい素材を採用。立体構造によって口や鼻部分にスペースを作り、会話や呼吸がしやすい設計です。

◆【使用シーンを選ばない、抗菌防臭】通勤、通学、ガーデニング、遠足、車の運転、スポーツ、サイクリング、ハイキング、スキー、スノーボード、スノーシュー、ヨガ、屋外での作業、自転車、釣り、登山、屋外コンバット、トレーニングやランニングなどに最適です。浮遊粒子、粉塵、スモッグ、汚染、灰、庭の花粉などなどから守ります。このマスクは使い捨てマスクです。 洗濯後は再使用しないでください。

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討論の授業を行うためにはどのようにすればよいか   戸村隆之

 討論の授業を行うためにはどのようにすればよいか戸村隆之はつぎのように述べています。
 討論の授業を行うには、本物の授業を見ることが必要だ。
 それなくして、自分の教室で討論の授業を成立させることはできない。
 討論の授業に欠かせないのは、子どもの発表である。
 クラス全員が発表する、自由に発表できる雰囲気を教師が意図的に作っていかなければならない。
 そのために、教師はすべての子どもの発表をほめる姿勢を持っていること。
 ほめることがないときは、「教えてほめる」ようにする。多くの教師は指導だけ行ってほめない。
 討論の授業では、子どもの書く力をつけることも不可欠である。
 書く力をつけるために、私のクラスでは、毎日日記を書くことを宿題にしている。
 毎日書いていることをほめ、励ますのである。
 長く詳しく書く子どもたちは、学級通信で取り上げたりしてほめる。
 その後、授業の感想や行事など一つの出来事について書くようにして、自分の意見を書く習慣をつける。
 授業の感想はできれば10分確保して、できた子からノートを持ってこさせて、印を押し言葉をかけ、その場でチェックする。
 時間に余裕があれば発表する場面を作ると、討論への布石になる。
 討論の授業は反論や質問をできるようにしてこそ活発になり思考が深まる。
 これも授業の中で行っていく。
 ある発問に対して、自分の考えをノートに書く。
 それを子どもに板書させ、発表する。
 そこで、
「友だちの意見について、わからないことを質問します。ノートに質問を書きなさい」
 と、指示して、全員が書いたら、それを発表して、質問された子は、答える。
 反論も同様である。
 反論の場合は、1つの意見に絞ったほうがよい。
 討論の授業を作るには、子どもに討論の素地ができていること。
 それに教師に討論の授業を組織する技術と能力が必要である。
 子どもの意見やつぶやきを聞き取ることができ、意見を整理し、話し合いの方向を示せる能力を身につけるために修業することである。
(戸村隆之:東京都公立小学校教師)

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学級の荒れたときに「これが大切ではないか」という声とは何か   坪井 祥

 坪井 祥は、学級の荒れを経験した教師から「これが大切ではないか」とつぎのような声があがっていると述べています。
 子どもたちの悪いところをさらりと受け流して、子どもたちのいいところをよく見る。
 気になって仕方がなかったことを笑って見るぐらいのゆとりが持てたらなと思っている。
 どうしようもないときは誰にでもある。
 教師は何でも自分がしなければならないと思っているが、困ったら「何とかして」と言うべきだ。
 しょい込まないこと。
 そんなときは休んでみることだ。
 そして、遊ぶ、どこかに出かけることだ。
 休んでいることで子どももほっとするのではないか。
 問題を抱かえているときは、ものすごく視野がせまくなる。
 子どもの悪いところがすごく目について自分自身が落ち込んでくる。
 そんな弱点をカバーし合えるのは学年集団だと思う。
 学年担任で何ができるかということを考えた。
 大変な学級の担任だけが落ち込むというのではだめだ。
 状況を打開するのは、何といっても「楽天性」です。
 自分が悪い、何をしてもうまくいかない、と暗く深刻な顔をして子どもたちの前に立ったら、それだけで子どもの心も暗くなります。
「そのうち何とかなる」「私一人じゃないんだ」と明るく考えることができれば、解決への糸口を見いだせるかもしれません。
 教育の原動力は教師の人間性です。
 あわただしさから人間性が枯渇したら問題です。
 教師の生活に「ゆとり」がなくなったら、いい教育ができないのは当たり前のことです。
 荒れを経験した教師に話を聞くと、驚いたことにどの教師も
「卒業後に荒れた子どもに会うと、いまは落ち着いていて、元気に声をかけてくれました」
 と、いった返事がかえってきたのです。
 すべての子どもがこのような状態でないにしても、多くの子どもたちにとっては「荒れ」は発達のための通過儀礼であったのかもしれないのです。
(坪井 祥:元大阪府公立小学校教師。授業研究所元専務理事)

 

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「ほめる・叱る」にはコツがある   伊藤友宣

 「ほめる・叱る」にはコツがあると伊藤友宣はつぎのように述べています。
 ほめるべきときにしっかりほめる、叱るべきときにしっかり叱る、ということをしなくなった大人が最近目立つようになった。
 ほめるも叱るも、態度がしゃんとしたものでなくてはなりません。
 「もうォ、それはダメじゃないのォ。やめなさいよ。やめて。ねェ、お願い」
 と、親が懇願口調で、あれでわが子を叱っているつもりなのか。
 幼児期から親があれでは、この先どうなるのかしらと、ぞっとしてしまいます。
 子どもの自主性を尊重しているつもりで、実際には親としての主導権をしっかり示していく自信がない。
 逆に親が子どもを完全に管理して、子どもがやむなく従うのを従順だと思い誤ることも多いのです。
 親が息をうんと吸って吐く勢いで「はーい、それはダメ」と、ききりと言い切る。
 親があとの様子をしっとりとした態度で見守る。
 子どもは、じっと親の気配を感じる。
 子どもはしてはいけないことをしていると、手元が止まるということになったりするのですね。
 親が強く注意を喚起して、あと、じっくり共感という流れがそこにあります。
 自分の日常の生きていく姿勢が、子どもをほめたり叱ったりする態度にもろにあらわれます。
 どうほめ・叱るか、でなく、充実した生き方ができているかどうかの、親のあり方、教師一人ひとりの生き方の質が、問われているのだという気がするのです。
 親や教師は子どものために、「ほめる・叱る」の意図が、子どもの心に届かないことが多くあります。
 こちらの思い違いもあると覚悟しておく。
 子どものこれまでの習慣や育てられ方というものも、考慮し直してみる。
 まあ、「ほめる・叱る」は試行錯誤して反省を積み上げていくしかない。
 子どものあり方にいかに敏感に反応して、前向きの関係をつくるか、ですからね。
 人間関係は、一種の格闘技。
 相手がどう出てくるか機敏に対応しながら、こちらの出方は、心と体の瞬間の動きに任せる。
 「ほめる・叱る」は、人間関係のひとつのかなめなのですね。
 叱ったあとに、反発が返ってきたりしても、おそれず、生き物の生きる勢いに任せたいさぎよさで子どもに対すること。
 子どものしくじりに気づいたら、気づいた自分の確かさに誇りを抱く。
 子どもに対しても謝るときには謝り、訂正すべきときは訂正すること。
 「ほめる・叱る」には、その時、その呼吸(いき)でという、コツがあるのだと思います。
 コツをはずしていなければ、形がいろいろ違っていても子どもの成長に役だっていく。
 結局は、「ほめる・叱る」ということは、それが必要な急場の、子どもに対するしゃんとした大人の姿勢のあり方のことだと気づくのですね。
「人間」としての、しっかりしたあり方が、時々のほめことばや叱りことばに、微妙に、そして、はっきりと映し出されてしまう。
 要するに、大人がどれほど元気に生きているか、ということになるのではないでしょうか。
(伊藤友宣:1934年神戸生まれ、大学で教育心理学を学び、卒業後は、教育問題、特に親子の関係、いじめ問題などを中心にカウンセリングに取り組む。神戸心療親子研究室主宰)

 

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学級のトラブルは成功の基  今村信哉

 学級のトラブル(難所)は成功の基である。
 私は2学期から小学6年生を担任したことがある。その学級は1学期後半には授業が成立していなかった。
「どんな教師が来たのか」と子どもたちはこちらを見るかと思ったが、目線はバラバラで宙をさまよっていた。
 私は、必死になって目線に方向性をつけようとした。
 それには学級の目標を決めるしかない。
 数日は授業らしい授業もせずどのような学級にしたいのかを話し合った。
 初めは口の重かった子どもたちであったが、徐々に口を開き始めた。
 そして、最終的にできあがったのは「チャーハンクラス」という学級のニックネームと「集まろう、一粒一粒おいしいクラス」というキャッチフレーズであった。
 学級のニックネームについては「ミックスジュースクラス」が対抗馬として最後まで残った。
 しかし、女の子のAさんの、
「ミックスジュースは混ざってしまうと元がなんの素材なのかが分からなくなってしまう。だけど、チャーハンなら何が混ざっているかはよく分かる。だからチャーハンクラスの方がいいと思う」
 の言葉で「チャーハンクラス」に決定した。
 私は長い間、教師をやってきたがあれほど説得力があり、影響力のあった発言は聞いたことがなかった。
 ガチャガチャと話し合っていた子どもたちの目線を方向付けた大きな発言だったのである。
 数ある学級の目標で10年以上経っても空で言うことのできるのはこの目標をおいて他はない。
 その後は堰を切ったように様々な活動が展開された。
 学級づくりの大きな難所を攻略できたのは、「学級の目標づくり」が第1弾の難所。
 そして目標に沿って活動を開始したのが第2弾。
 その後も、次から次へと多くの難所に遭遇した。
 しかし、急造の担任であったということもあり、保護者や管理職を含む学校全体から全面的なバックアップがあった。
 そのために大きな難所を乗り越えることができたのである。
 この「チャーハンクラス」のクラス会が先日あった。子どもたちは22歳になっていた。
 そこで話題になったのは卒業してからのことだった。
 順風満帆というわけではなかったが、そこから確実に立ち直ることができていた。
 口をそろえて言ったことは全員が一丸となって取り組んだ「チャーハンクラスが原点になった」ということである。
「集まろう、一粒一粒おいしいクラス」に戻ったのだ。
 そこには真剣になった自分、励ましあった友だちがいたのである。
 生身の子どもたちが何十人も集まる学級である。
 何事もなく1年が過ぎるはずがない。
 難所はあって当然なのである。
 要はその難所とどう向き合い、どう対処するかである。
 難所は子どもたちにとっては、
「最も踏ん張らなくてはならないところ」
「最も教師を必要としているところ」
 なのだ。そこを学級経営に生かさぬ手はない。
(
今村信哉:埼玉県さいたま市指導主事、小学校長、共立大学客員教授を歴任
)

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まず子どもとの信頼関係を築くことが大切   岡崎 勲

 まず子どもとの信頼関係を築くことが大切と岡崎 勲はつぎのように述べています。
 私は警察署の少年補導員をしています。
 当然のことですが、子どもにとって、私は何者か、一切わからないわけです。
 その中で子どもと何度も話をしながら、その子にとって多少私が役に立つというか、相談に乗ってもらえそうな大人だなという人間関係をまずつくります。
 そこから、その子の中で何が問題なのか、その子の問題点を見抜くよう子どもと接しています。
 ふとした一言から原因が分かったり、親との接触の中で分かったりすることがあります。
 ただ、子どもは問題点を指摘されても、なかなか自分のことは気がつきませんし、直しません。
 毎日の具体的な行動の中で、その子にとって今すぐできるやさしい問題から
「これをやってごらん。そうすると先生も、親もびっくりするよ」
 と提案するわけです。
 それについては、先生や親に連絡を取っておきます。
 私が関わっている子どもたちは、小さいときからほめられた経験はあまりありません。
 些細なことで、ほめられると非常に喜びます。
 次のステップとして、
「きみは今中学生だ。これからの人生はきみ自身がつくるものなんだよ。ああいう大人になりたくないと思ったら、ならなきゃいい」
「きみはどういう人間になりたいんだ?」
 と、具体的に夢を持たせるようにして、実現に向けて努力をさせるようにします。
 子どもに自分が伝えたいことを話したときに、子どもがその場で理解できないというのは、自分の子どもに対する話し方が悪い。
 いろいろな言葉で子どもの心に伝わる話し方をする必要があると思っています。
 それによって、子どもは少しずつ正面を向いて話ができるようになり、自分の悩みも訴える。
 そういう人間関係をつくっていくのが一つだと思います。
 もちろん親にも、
「これは親の大変な問題ですよ。子どもを育ててないんですよ」
 ということもはっきり指摘します。
 親にとっては、うるさい人だと思われるかも分かりませんが、その子どもに何か問題があったとき、
「これは大変」ではなく「今がチャンス」と、その問題を通して規範意識を植え付ける。
 そういうことが大切なのではないかと思います。
(
岡崎 勲:神奈川県の警察署の少年補導員として約30年にわたり家業のかたわら少年の非行防止のボランテイア活動)

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いつか芽がでて成長する日を夢見て種を植え続けるのが小学校の教育だ   寶迫芳人

 いつか芽がでて成長する日を夢見て種を植え続けるのが小学校の教育だと寶迫芳人()はつぎのように述べています。
 先生という仕事は、誰にでもできる仕事ではありません。
 少なくとも教育に対する情熱や問題意識を持ち、先生としてどのような子どもたちに育てたいのか、というビジョンを持って、遂行していく意志と力を兼ね備えていなければ先生としては通用しません。
 教師の仕事は増加し、授業について研究する時間さえ、満足に確保することができないのが現状です。
 しかし、このような状況にも屈することなく、自分を磨き続け、雑務の波にのみ込まれることなく、自分に挑戦し続けることができるかが重要なのです。
 教師の仕事をしていて心の底から楽しいと思えることはそう多くはありません。
 どれだけ努力を重ねても、もどかしい思いで終わることもしばしばです。
 子どもたちに誠意をもって接しても気持ちが通じないこともあります。
 どうしたらよいか悩むことが多く、行き詰まってしまって苦しい思いをすることもあります。
 私が子どもたちの前に立つときにいつも意識していることは「教育は種まき」であるということです。
 教室には様々な子どもたちがいます。
 その子にとって大切なことを一人ひとりていねいに教えていきます。
 もしかするとその種は、その子には合っていなかったということも考えられます。
 その子の本当の実態は、外部に表出された言葉や行動などから推しはかるしかなく、本当の実態は見ることはできないからです。
 それでも、今どの種を植えたらよいか考え、決断し、間違えていないことを信じて種を植え続けなければなりません。
 誰かがよい種を植え続けなければ、よい芽がでることはないのです。
 子どもたち一人ひとりが大きく成長するその日を夢見て、いつか芽が出ることを信じ、ただひたすら丹精を込めて種を植え続けるのが小学校の教育だと私は思っています。
(
) 寶迫芳人:1970年生まれ、埼玉県公立小学校教師。

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国語科:「わにのおじいさんのたからもの」を先輩教師から学ぶ   松崎正治

 私()は小学校の校内研修の講師として長年通い、そこでA教師がB先輩教師の授業(小学2年「わにのおじいさんのたからもの」鬼の子が、わにのおじいさんに聞いた宝物のありかを訪ねていく話)からつぎのように学び成長していく過程に立ち会うことができた。
 A教師はB教師に授業の構想を尋ねたときに、その内容に圧倒された。
1 
周到に教材研究をし、構造図を作っていた。

 全文を「人物を表す語句」と「叙述する語句」に分けて、指導すべき語句が抽出されていた。
2 
他の教科と関連させ、興味関心を盛り上げた。

 生活科で節分(鬼は外の意味を考える)などの冬の行事を取り上げる。
 図工科で鬼の面を作る。
 読書活動で鬼に関する本を読む。
 朝の会で「私の宝物」のスピーチをする。
3 
子どもの最初の感想をもとに、読みの実態を把握して授業を進める。

 そこから生まれた問いを
「なぜ、おにの子は帽子をかぶっているのか」
「なぜ、そんなすごい宝物をおにの子にあげたのか」
 等のようにまとめた。
 A教師は子どもの感想に基づいて授業を構想していく方法をB教師から学んでいった。
 子どもたち自身がどんどん授業を進めていく学習の仕方を学ぶためにA教師は、子どもたちの話し合いの輪の中に入れてもらった。

 子どもたちは発言を譲り合ったり促したり、まるでそこに教師がいるような感じで進めていた。
 実際に授業を子どもの立場で体験して、B教師に教えてもらっていた。
 さらに、放課後にA教師がB教師に尋ねる「反省会」もやった。

 話し合いの練習のためのグループの作り方とか、リーダーを育てる話が語られた。
 B教師は、話し合う子どもの様子を表情や仕草、何気ないつぶやきから読み取り、授業の進行や、次の単元でさらに深化させるべき話し合い課題などについて考えている。

 その子どもの様子の読み取りの時に、A教師は子どもの中に入り子どもの側から、どのように見え感じられるか、授業を見てみたのである。
「B教師の授業の技法はB教師の人間性が絡まって、初めて成り立つと思う」

「だから、真似をしても自分のものにはできない」
「そこに自分なりの切り込みとかを何回か試行錯誤したら、ちょっと自分なりのものができたりっていう感じですね」と、
 A教師は語っている。
(
) 松崎正治:1958年生まれ、同志社女子大学教授。専門は国語教育における授業研究。教師の人生体験が授業にどう影響を与えるのか。学習記録の分析や実際の授業の参与観察を通した授業研究。教育現場で実践に携わる教育者や、研究者による共同研究。




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授業のどんな場面でも対応できるよう指導技術の持ち駒を増やすコツとは   高見仁志

 授業をしているとき「今、どのような一手を打てばよいか」とまどう状況に追い込まれることがあります。
 このような状況を回避するには、数多くの授業の技術・ネタを身につけておくことが重要になってきます。
 そのコツは
1 
他人の実践をまねる(追試する)
 他人の実践に学ぶことを通して、技術が身につくことは誰もが経験しています。
 ただし、追試さえすれば、自分の力量が高まっていくという考えは排除したいものです。
 追試した結果、失敗(成功)した原因を追究することが大切です。
「なぜ失敗したのか、その原因はどこにあるのか」等、詳細に省察を繰り返すことが重要です。
 この省察を大切にすることが、教師の力量を高めます。
2 
自分で独自の指導技術をひねり出す
 授業中どのような手を打とうか迷ったとき「今、この場面で、効果的な働きかけとは何か?」全能力を結集して考えぬくことが大切です。
 考えぬいたすえ、生み出した独自の方法を持つことによって、教師は自らの力量を向上させることができる。
 斎藤喜博は、合唱の指導中、思うように子どもが声を出さないので、どうすればよいか迷っているとき、つぎのように述べています。
「そんなとき、私は苦しまぎれに、むちゃくちゃに腕を振りまくっているわけです。子どもも骨折ってさまざまにやっている」
「その結果、新しいものが出たときを振り返ってみると、こういう指導をしたな、子どもは身体をこういうふうに使って、こういうイメージをつくって歌ったなと分かるわけです。すると私のなかに新しい合唱の指導技術というのが出来たわけです」
 この言葉から、教師がどうすればよいか迷ったときにこそ、独自の指導技術が生み出されてくることが理解できるでしょう。
3 録画
中断法を用いて指導技術の選択肢を広げる
 録画された授業で、重要な内容を学習するときに、教師にとって予期しない子どもの行為が見られた場面で、録画を中断させ、「もし、あなたなら、どのような手だてを次にとるか」を問う方法です。
 このときに出される手だては、熟考した後よりも瞬間的に行われた方が、より効果的と言えるでしょう。
 なぜなら、授業中、教師は常に瞬間的な思考を要求されているからです。
 以上のようなトレーニングを重ねることにより、教師は指導技術の持ち駒を増やすことができるでしょう。
(
高見仁志:1964年兵庫県生まれ、兵庫県公立小学校教諭(18年間)、湊川短期大学、畿央大学を経て、佛教大学教授)




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国語科:野口芳宏の授業は見える授業である    山田洋一

 野口芳宏(1)が5年生122名の子どもたちに体育館で「大造じいさんとがん」の授業を行った。
 その様子を山田洋一(2)はつぎのように述べている。
 まっすぐ子どもたちを凝視したまま、両腕を肩の高さまで上げて大きく広げ「では、よろしく」と子どもたち全体に声をかけた。

 鋭い視線から「真剣に学ぶんだぞ」、「さあ、懐に飛び込んでおいで、何でも教えてあげよう」というメッセージをこのポーズから感じる。
 野口先生の授業では、言葉によるメッセージの他に身体からのメッセージも、子どもたちに発せられることが多い。

 教師の発問・説明・指示とその身体からのメッセージが、うまく合致しているのが野口流授業の真骨頂なのだ。
「大造じいさんとがん」の教師による音読が始まる。

 しばらく読んだところで、厳しく追い込むような表情で「敵の正体は何だ?」と最前列の子どもを野口先生は指名した。
 子どもは「がん」と答えた。
 これに対して「それでいいと思う人?」「違うと思う人」と即座に全員に挙手を促した。

 誤答であった。
 誤答を言った子どもに野口先生は最高の笑顔でその子の肩に軽く触れるようにした。
 子どもははにかみながら笑っていた。
「間違えたことは仕方がない。つぎに頑張ればいいさ」と子どもは思うだろう。
 私のような並の教師は、これを逆にする。

 つまり、緊張しないようにというお節介から指名するときには笑顔をつくり、子どもが誤答すれば苦虫をかみつぶす。
 子どもは「言わなければよかった」と思うだろう。 
 どちらが子どもに対して優しく、力を伸ばす教師であるか? 

 野口先生と比較すれば明白だ。
 つまり、野口流の授業は「緊張から緩和」になっているのに対して、私のような教師は「緩和から緊張」となっているのだ。

 そしてそのことが野口先生の表情という身体からのメッセージとなって、子どもたちに伝えられているのだ。
 野口先生は必ず子どもたちに手の挙げ方を「手を耳にあてるんじゃない。ビューと手を曲げずに挙げるんだ」と見せ、実演して指導する。「まっすぐ挙げなさい」と言うだけでは子どもたちにはわかりづらい。
 野口先生は、語りの名人であり、どちらかというと言語による指示がうまい。

 しかし、実際の授業は身体を介しての指示が多用されている。
 野口先生の授業は見える授業なのだ。
 野口先生は「わかる人?」とは尋ねない。

「わからない子」に手を挙げさせる。
「わからない子」が授業から脱落しない全員参加の授業にするためである。
 しかも、わからないことが教師に知られているので、ぼんやりはできない。

 わからないことを本人に強く自覚させ、わかるようになったときの喜びを強調することができる。
 子どもが向上し変容するための強化になっている。
 教師から子どもについた学力が見えていなければならない。

 見える学力が野口流授業のキャッチフレーズの一つである。
「『ぐっと長い首を持ち上げた』というこのとき、残雪は目を開けていたか、つぶっていたか」と発問した。

 野口流授業では発問がすばらしい。
 その本質は子どもたちに見えていないものを、見えるようにするということである。
 読み過ごしてしまうような叙述を指し示し、考えさせるということである。
(
1) 野口芳宏:1936年生まれ、元小学校校長、大学教授、授業道場野口塾等主宰  
(
2) 山田洋一:1969年生まれ、北海道北広島市立小学校教師。教育研修サークル・北の教育文化フェスティバル代表。




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周囲の教師から「なんとかしてあげたい」と愛される教師になるにはどうすればよいか   山田洋一

 職員室はみんなでチームとなって仕事をする場です。
 ちょっとした気遣いを同僚教師のためにふだんから、さりげなくすることがとても大事なのです。
 悩んでいても、実際に助けてもらえる教師とそうでない教師がいます。
 周囲の教師から助けられて本来の力を出しきれる人もいれば、本当は力があるのに人間関係につまずいて、力を出し切れない人もいます。 
 周囲の教師から見て「なんとかしてあげたい」と感じさせる、愛される教師になりたいものです。
 そのためには、愛されることを望む前に、まずは自分が誠実に努力して相手を大切にすることによって愛される資格のある自分になるというのが最も重要な職員室のルールです。どうすればよいのでしょうか。
 同僚から自分がどのように見えるのかを意識することが大切です。
 あなたの机回りにあるゴミ箱があふれていることから、あなたのイメージがつくられるのは残念です。
 退勤前には必ずゴミを処理してから帰るというようにルール化しておくと良いでしょう。
 その際に隣の教師のゴミもついでに処理してあげるようにしましょう。
 挨拶は相手に心を開き、人間関係を円滑にしようとする行為が挨拶です。
 まず、自分から明るく笑顔で挨拶しましょう。
 子どもから明るく、笑顔で挨拶されると、気持ちがいいものです。
 自分からみんなに元気を送る、そんな気持ちで挨拶します。
 挨拶が返ってきたら、笑顔で「今日も一日よろしくお願いします」など、ひと言をつけ加えてみましょう。
 電話は相手を待たせないよう「3コール以内」に電話に出ましょう。
 進んで電話を取る人は積極性があると評価され信頼が集まります。
 電話対応の最低限のポイントは「名乗る、先方の名前を確認する、用件を確実に聞く」の3つです。
 相手にものを渡すときには、目を合わして微笑み、ひと言「よろしくお願いします」と両手で渡すようにしましょう。これで相手への敬意が伝えられます。
 人から愛されるには、こちらから相手を愛して、大切にすることが大事です。習慣になると教室の子どもたちも変わります。数名の子どもたちが真似をして両手で教師にものを渡すようになります。
 話し手を見て話を聞くことは、意識しなければ案外できないことです。
 誰かが話し始めたら、そちらに注意を向けるようにふだんから気を配りましょう。
 話に合わせてうなずいたり、軽くほほ笑んだりすると、話し手はグッと話しやすくなります。
 笑顔を忘れず、よい聴き手になることを心がけましょう。
 問題が起きたら、まずは学年団の教師に相談します。
 自分が知らない情報や今後起きそうな事態や対処法まで教えてもらうことができます。
 このときに気をつけたいのが、アドバイスを「それは考えました」「これまでにもやっています」と、すぐに否定しないということです。話し合いをストップさせてしまうことになりかねません。
 いざというときに相談しやすいように、日ごろから些細なことでも聞いてもらうことも、お互いの心の距離を縮めます。
 悩みをオープンにすることで、アドバイスをもらいやすい関係を築くことができます。
(山田洋一:1969年北海道札幌生まれ、私立幼稚園に勤務後、北海道公立小学校教師。教育研究サークル「北の教育文化フェスティバル」代表)

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教師が実力をつけるためにはどのようにすればよいか   山田洋一

 教師が実力をつけるためにはどのようにすればよいか。
 山田洋一はつぎのように述べています。
 私は教育大学に入学して驚いた。
 一般教養の講義がほとんどで教育に関する講義は僅かであった。
「こんなはずではなかった、もっと教育について学びたい」と大学に絶望し、学習塾でアルバイトを始めた。
 塾ではどの講師も仕事に熱心で、子どもとたくさんおしゃべりして関係を強固にするということを優先して、楽しそうに談笑していた。
 塾に採用されると、すぐに研修が私に課せられた。
 まず、M講師の授業を見せていただいた。
 国語の問題文を情感豊かに読み上げ、問題をテンポよく解説していく。
 子どもたちを飽きさせず、受けているだけで気分がよくなる授業であった。
 二時間目は、違ったタイプの授業で、子どもたちの発言を徹底的に引き出し、世間話のような調子で授業が進んでいく。
 進度も、時間もぴったり、そしてなにより、教室の空気を支配していた。
 一人残らず学習に参加させる気迫と技術を備えていた。
 私は圧倒された。
 これがお金をもらっている人の授業なんだと胸に深く刻んだ。
 その後、私は放課後、M講師の前で模擬授業が課せられた。
 指摘された内容は私の胸を射貫いた。
 三か月後、アルバイト講師が塾に入ってきた。
 今度は、M講師は私にそのアルバイト講師の授業を批評し、代案を示すことを求められた。
 私は、こうした過程を経て、お金がもらえる講師になっていった。
 このM講師がしてくれた、
「優秀な実践者の授業を見る」
「模擬授業をし、指導を受ける」
「実際に授業をする」
「他人の授業を批評し、改善策を示す」
の研修課程は、非常に意義深いものであったと、いまでも思う。
「見る」
「試す」
「実施する」
「違う角度から見る」
「試す」
 という過程は、実践者が最も力をつけることのできる研修過程であると、学校現場にきてからも強く思う。
 しかし、実際には学校現場で若い教師はこうした丁寧な研修課程を経て教壇に立っているわけではない。
 それは、大変不幸なことだと言わざるをえない。
 しかし、実力をつけるためには、若い教師は自分で研鑽を積むしかないと私は考えている。
 困難な状況になったとき、私は基本的には相手に働きかけて状況を変えることを考えず、自己変革を念頭に置いた。
 なぜなら、自分はすぐに変えられるが、相手はなかなか変えられないからだ。
 相手を変えることは解決不能の袋小路に迷い込んでしまうと考えてきた。
 思うように変わらない相手を何とか変えようとすることほど、苦しいことはない。
 自己変革を考えた方が結果的に自分を成長させることにもなる。
 また教師は、子どもによりよく変わることを望むのだから、まずは自己変革を自分に課すのは、私にとっては当然と考えられることでもある。
(山田洋一:1969年北海道札幌市生まれ、私立幼稚園に勤務後、北海道公立小学校教師。教育研究サークル「北の教育文化フェスティバル」代表)

 

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中堅教師が飛躍するにはどのようなことが考えられるか   森脇建夫

 中堅教師が飛躍するにはどのようなことが考えられるか森脇建夫はつぎのように述べています。
 中堅教師とは、教師になって十年を過ぎた時期である。
 中堅教師は、確立した教師としての「教育観」と「授業スタイル」の問い直しを求められる時期なのである。
 教師の教育観が具体的に技術や方法となって姿を現したのが授業スタイルである。
 指導力不足教員と認定された教師の約八割が40~50歳代である。
 中堅教師の危機は教育実践の硬直化(化石化)と一般にとらえられている。
 たとえ力量のある教師でも教育実践の不確実性によって危機に陥る危険性がある。
 その危機を乗り越える契機について、学校や研究サークルなどの教師のコミュニティの重要性が指摘されている。
 例として、三重県のある公立中学校を考えてみる。
 この中学校では佐藤学が提唱した「学びの共同体」を研究テーマとして授業改革を行ってきた。
 佐藤は「学校を子ども・教師・親たちが学び合う場所とする」授業改革を核とした学校改革を推進している。
 元岳陽中学校長に来てもらったり、「学びの共同体」の研究会に教師を派遣したりして、ペア学習やグループ学習(男女4人)、コの字型机配置の学習を授業の中に取り入れ、各教師が年に二回は授業を公開してきた。
 しかし、個々の教師にとっては、「学びの共同体」との出会いは単純ではない。
A教師(数学)は、
「一斉授業では中ぐらいの生徒に焦点を当てると、上・下の子にとっては満足できない。どうしていいかわからなかった」
 そこで、自分で授業にコの字とグループ学習を取り入れると、生徒たちに受けがいいことがアンケートで明らかになった。
 それを契機に、授業展開は課題をグループ中心で解決することが主となり、生徒どうしを「つなぐ」役割に徹するようになった。
 B教師(国語)は、一斉授業に問題を感じていなかった。しかし、
「コの字とかグループにすると、ちょっとわからないことを、グループで聞きあう場面が出てきました。子どもどうしの授業中の関係がよくなったなあと思いました」
 C教師(英語)は、自ら英語研究者の講演にたびたび出かけ研修している。
 C教師は英語を基本的にはパターンプラクティスと考えている。
 授業はリズミカル進み次々と場面を転換していく。
 C教師は、「学びの共同体」には批判的である。
 しっとりと聴き合うことやグループ学習とはそぐわないと考えている。
 彼の教育観が揺らぐ経験をしたとき、「学びの共同体」との再会があるかもしれない。
 中堅教師にとって学校という場は、自らの「教育観」の問い直しから、新たな飛躍への契機を与える可能性を持っている。
 そのために重要なことは研究コミュニティとして学校が存在することである。
 それには、生徒の成長や発達をうながすために集団的な探究や協働的な活動が学校でおこなわれなければならない。
 教師たちが授業実践について本音を語ることができ、納得できるまで時間的な余裕をもつことである。
 授業実践の改革は教育観を変革し自らを再構築することなのである。
 教育観の変革に大きな力を持っているのが生徒の変容である。
 もうひとつは、教師の疑問や問題を「ほんものを理解している人」に投げかけられるような学校にしておくことである。
(森脇建夫:1956年生まれ、三重大学教育学部教授。専門は教育方法学・授業論)

 

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今の学校に求められていることは何か    石井卓之

 保護者対応など厳しい状況におかれている学校で、今一番大事なのは、学校として一つの方針でまとまることだと私は思っています。
 うちの学校はこういう方針でやっていくよというものを出していかないと、保護者に理解されません。
 うちの学校はこういう方針でやります。
 ですから保護者や地域の方にはここをぜひとも協力してください。
 という形で発信をしていく必要性が出てきたと感じています。
 子どもたちに規範意識を身につけさせるには、教師がルールブックにならなければいけない。
 教師が示す態度、言葉、行動が基になるようにしなければいけない。
 環境というのも非常に大きいと思います。
 私が指導主事をしているとき、大変な中学校がありました。
 そこの校長が行ったのは、学校のごみをなくす。朝会ったら必ずあいさつする。
 この二つで間違いなく一年で学校が変わりました。
 教師がこの二つをやり遂げ、子どもたちを変えるぞ、とアピールしたこと。
 これが保護者や地域に伝わったと思います。
 教師がていねいな言葉を使うことが大事だと思います。
 叱るときは語気を強くしても言葉はていねいに、というのが今のスタイルになっています。
「子ども自ら」というのもキーワードだと思います。
 決まりを最低限にして、その代わり学校の決まりは絶対に守らせる。
 なぜ、この決まりを守らなければいけないかを説明し、教える。
 今、キレる子どもたちは増えています。
 教師たちはその子を別の部屋に置いて、冷静になるまで待ちます。
 落ち着いたら、なぜそれがいけなかったかということを話さないと、子どもたちの指導は進みません。
 私の小学校では六年生に職場体験をしています。
 あの商店の人に、この間お世話になったからあいさつしようかなとか、叱られたら「ごめんなさい」を言おうかなとか、そういう温かい地域の目をつくりたいということで職場体験に出しています。
(
石井卓之:東京都公立小学校教師、指導主事、公立小学校校長を経て帝京大学准教授)



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新任教師が感じている困難や負担と校長からみた初任者教員の評価   窪田眞二

 新任教師が感じている困難や負担と校長からみた初任者教員の評価について窪田眞二(監修、学校教育課題研究会編)はつぎのような調査結果を示しています。
 初任者教員のつまずきや育成上の課題を把握することは初任者教員育成の指導体制を整えることになります。
 東京都が新任教師の意識調査(平成19年3月)をした結果はつぎの通りです。
1 新任教師が授業で困難や負担を感じた(とても・少し感じている)のは、
(1)小学校
 基本的な指導技術、学習状況の把握と対応、指導計画・学習指導案、授業規律の保持や徹底・・・(80%以上)
 教材・教具・ワークシート、授業の進度、課題等の事後指導、特定の教科の指導・・・(70%以上)
(2)中学校
 授業規律の保持や徹底、学習状況の把握と対応、指導計画・学習指導案、教材・教具・ワークシート・・・(70%以上)
 授業の進度・・・(60%以上)
 課題等の事後指導・・・(50%以上)
2 新任教師が学級経営で困難や負担を感じた(とても・少し感じている)のは、
(1)小学校
 学級集団の把握や指導の仕方、個々の子どもの理解や指導・・・(80%以上)
 年度当初の学級づくり・・・(70%以上)
 学校行事での指導・・・(60%以上)
 休み時間の指導・・・(30%以上)
(2)中学校
 学級集団の把握や指導の仕方、個々の子どもの理解や指導・・・(70%以上)
 年度当初の学級づくり、学校行事での指導・・・(50%以上)
 休み時間の指導・・・(30%以上)
3 新任教師が保護者・地域の対応で困難や負担を感じた(とても・少し感じている)のは、
(1)小学校
 保護者会や個人面談等の計画・実施・・・(70%以上)
 保護者への連絡や苦情への対応・・・(60%以上)
 PTA・地域の行事・・・(30%以上)
(2)中学校
 保護者会や個人面談等の計画・実施、保護者への連絡や苦情への対応・・・(70%以上)
 PTA・地域の行事・・・(20%以上)
4 校長からみた初任者教員の評価(やや不足・とても不足しているのは
 集団指導の力・・・(70%以上)
 学級づくりの力、子どもを指導する力、学習指導・授業づくりの力、教材解釈の力・・・(50%以上)
 子ども理解力・・・(60%以上)
 豊かな人間性や社会性、常識と教養、対人関係能力・コミュニケーション能力・・・(40%以上)
 同僚と協力していくこと・・・(20%以上)
(窪田眞二:1953年東京都生まれ、筑波大学名誉教授を経て常葉大学特任教授・副学長。専門は教育行政学)

 

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親と教師が子どもの鏡となる舞台を学校につくろう   滝澤雅彦

 大人は子どもの鏡であると考えています。
 子どもがモデルとすべき大人、これから生きていって「こうなるべきモデル」となる大人は、親と教師だと言ってよいと思います。
 他の大人だっているだろうと思うでしょう。
 でも、今の社会の関わり方を見ると、子どもにとって生きた人間として目の前に立っているのは、親と教師です。
 しかし、子どもと親がどれだけ向き合っているかというと、必ずしもきちんと向き合っていないという実態があります。
 そのことからも、学校は親の役割まで果たさなければいけない。
「親と教師が子どもの鏡となる舞台を学校に」というのが私の考えです。
 学校を地域の大人が集うところにして、英語検定などの勉強会で教師も親も学び続ける人として子どもにみせるのです。
 私の学校の多くの親は20種類の勉強会のサポータに登録しています。
 そのうちの一つが「英検サポーター」で、英語が得意な親が英語検定のことを手伝ってくれている。
 親も学校で自分の子と同世代の子を見ることになる。
 そうやって地域の大人のコミュニティの学びの中心として公立中学校が存在するようにする。
 それを見て、子どもたちが「親や教師たちって、楽しそうだな」と思ってくれる。
 私は子どもたちに
「将来、肩書の人生とプライベートな人生の二つを持とうよ」
「肩書の人生を持つためには勉強という頑張りも必要だけど、プライベートな人生を生きるための趣味や仲間を大事にしようよ」
「そうやって生きていきなさい」
「私は君たちより年上でバンドをやってきたけれども、中学生のころより今の人生のほうがずっと楽しいよ」
 と、言い切れる大人として、私は子どもの前に立っているつもりです。
 子どもは大人を見て育つと言いますが、教師や親、地域の人が子どもにとってモデルにならなければいけないと思います。
「生きていることは楽しいよ」とか「大人になることは素晴らしいことなんだよ」とか、そういうことを子どもに自信を持って言いきれる生き方を、子どもに示すことが大切であると私は思っています。
(
滝澤雅彦:ミュージシャンの道から31歳で教師になり、東京都公立中学校校長、文部科学省中央教育審議会専門委員、日本教育会事務局長を経て日本大学教授。「地域の子どもは地域で育てる」ことの大切さを掲げ、保護者・地域との協働を積極的に推進し、地域運営学校(コミュニティ・スクール)として学校経営した。おとなのバンド大賞グランブリ)

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子どもを別のクラスに替えてほしいと要求する親にどう対応すればよいか   諏訪耕一

 事実を認めようとしなかったり、無理な要求をしたりする親に出会うことがあります。
 そのような親は、問題を抱かえていて余裕がなかったり、困って助けをもとめているのではないかと私は思っています。
 モンスターになる背景を考えながら対応する必要があります。
 例えば、子どもを別のクラスに替えてほしいといった要求には、本人のみクラスを替わったらどうなるか、どんな長所・短所があるのかを、親と一緒に考えてみるとよいと思います。
 子どもがよけい苦しい立場に立たされることに気づけば、親もよりよい解決方法を一緒に考えられるようになるでしょう。
 人々の考え方、生き方が多様化しています。
 自己中心的な、利己的な考え方は道理が抑制されそうで私は心配しています。
 いろいろな考え方や生き方を受け入れることができる基礎条件の一つは、他者の意見を聞くことができることです。
 他者の意見も聞き、自他の併立を図れることが必要なのです。
 私は、モンスターペアレントの要求に対して、何とか現実の学校のしくみと教育の基本を親に理解してもらうべく努力している教師の姿が見られて、意を強くしています。
 このような教師たちの存在でもって、世間を動かしてほしいと思います。
 教師が「みんなのことを思いやる」子どもの育成に邁進する学校がこれからも続くことを期待しています。
(
諏訪耕一:1937年愛知県生まれ、元愛知県公立中学校教師。長野県に不登校の子どもの回復施設「浪合こころの塾」その後「浪合こころの相談室」を開設した)

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声が変われば自信が生まれ人生が変わる    白石謙二

 声が変われば自分に自信が生まれ、その結果、人生さえも劇的に変えることだってできると白石謙二はつぎのように述べています。
 日本には、話すための声のトレーニングを指導する専門家はほとんどいません。
 しかし、欧米では、政治家、企業のトップなど、人前で話す機会が多い人は、ヴォイスティーチャーがついて「声トレ」をするのが常識です。
 声はトレーニング次第で悪い声とされている声でも、トレーニング次第で「よい声」に変えることができるのです。
 話を聞くとき、話の内容に影響を受ける人は7%しかなく、じつに93%の人が「声や態度」に影響されるといわれます。
 私は、これまで多くの人に声のトレーニングを指導してきました。
 その指導の基本は、その人が持っている内面のすばらしさに、その人の声をどうやって近づけるか、ということにあります。
 大半の人は、表現しきれていません。
 その最大の原因は、声のパワー不足にあります。
 パワーがない声は、相手の心に届かないのです。
 よい声を出すためには日頃からの訓練が大切です。
 大切なのはまず発声、それから滑舌と表現力です。
 発声を鍛えることで、声にパワーが生まれ、説得力のある話し方ができるようになります。
 具体的には、相手に「しっかり伝わる声」、相手の心をつかむ「よく通る声」を訓練します。
 滑舌が悪く、何をいっているのか聞き取りにくい声は、相手に話を聞いてもらえなくなります。
 滑舌を改善すれば言葉がはっきりし、ハキハキとした印象を与えることができます。
 人は誰でも「あ行」~「わ行」までの間で、いいにくい言葉があるものです。苦手な行や言葉を克服するための訓練をしていきます。
 表現力は、自分が伝えたいことを相手に伝わりやすくするための技術です。
 感情の込め方、間のとり方、身ぶり手ぶりなどです。
 私の経験からいうと、あまり表現力にとらわれすぎると、肝心の声の力がおざなりになる傾向が強いようです。
 自分の声を知る一番よい方法は、レコーダーなどに自分がしゃべっている声を録音することです。
 さらに、新聞や本を朗読することをお勧めします。
 長い文章を朗読することで「声量のあるなし」「発音や滑舌のよし悪し」「間のとり方」など自分の弱点が明らかになるからです。
 ひと口に悪い声といっても、つぎのようにさまざまなタイプがあります。
 自分の声がどのタイプに該当するのか、しっかり把握することが大切です。
(1)小さい声
 消極的で引っ込み思案と見られがちです。→「腹式呼吸で発声する」
(2)か細い声
 弱々しい印象を与える。→「声のトーンを下げ、下アゴを動かし響く声に」
(3)暗い声・こもる声
 陰気な印象を与える。→「鼻腔を共鳴させ、抜ける声に」
(4)うるさい声
 耳障りで不快感を与える。→「小さい声でも聞き取れる声に」
(5)ダミ声
 高圧的な印象を与え、反発を買う危険がある。→「ふあっとした声でトーンを上る」
(6)甲高い声
 高すぎて相手のカンにさわる恐れがある。→「声のトーンを下げる」
(7)かたい声
 冷たくて頑固な印象を与える。→「身体をほぐし感情を込めやわらかい声に」
(8)老け声
 声量・声のハリがなく、元気のない声。頼りなさそうな印象を与える。
(9)鼻声
 鼻にかかった甘えた声です。相手に甘えた幼稚な印象を与えます。
 弱点がわかったら「声トレ」に入りますが、ただ漠然と行ってはいけません。
 大切なのは「声を大きくして、元気なイメージを持たれたい」など、目的意識をしっかり持つことです。
 そして、もうひとつ重要なことは、意識を変えることです。
 いくら明るい声を出すための技術をマスターしても、暗く沈んだ気持ちのままでは、明るい声は出ません。
「技術」と「意識」は、車の両輪のようなもので、両方をしっかりと学ぶよう心がけてください。
(白石謙二:これまでなかった、話すため専門のヴォイストレーニング&ティーチングを行う「青山ヴォイスメイクアップアカデミー」を開校。ヴォイスティーチャーとして活躍。パワフルヴォイスヴォーカルスクール代表でもある)

 

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非行少年の心の中や立ち直りのために必要なこと   紀 恵理子

 私は少年鑑別所でさまざまな問題を抱かえてきた少年たちと関わってきました。
 非行という行動は社会から見れば被害者を出す、人に迷惑をかける不適応な行動です。
 彼らの心の中から社会を見ると、彼らは非行行動を取ることで自分の心を守っていると言えます。
 彼らは気弱さ、孤独、自信の乏しさという弱さを抱かえていて、そんな自分と向き合えず悩むことをやめ、非行によって自分を守っていると言えます。ですから、少年一人ひとりが取る非行行動にはそれぞれ意味があります。
 例えば、16歳の男の子がコンビニで大量の整髪料とかを盗み、仲間に配っていました。彼は家庭に居場所がなく、唯一一緒に過ごしてくれるのが数人の遊び仲間だった。友だちの関心を物で買おうとしていました。
 同じく、16歳の女の子が、コンビニで大量の化粧品を盗んで、素顔が分からないほど化粧していました。「お化粧を落とすと、自分が消えてなくなってしまう気がする」と言いました。彼女は自己イメージが非常に悪く、厚化粧して素顔を隠すことは、自分自身を守るよろいを身に着けることで、生きるためには必要なことだったのです。
 このように同じ盗みでも、非行の意味は違い、それによって働きかけのポイントも違ってきます。こうしたことから、立ち直りの支援というのは、少年一人ひとりの心に焦点を当て、能力や性格、非行の意味など、少年を理解するところから始まるのではないかと思います。
 少年と鑑別のために面接していると、ときどき、少年が親の悪口を言うことがあります。子どもが親の悪口を言っても、「本当だね、あなたのお父さんって最低ね」と同意してはいけません。彼らは他人から親の悪口を言われることは大嫌いです。子どもの前で親への批判を口にすることは禁句です。
 少年鑑別所に親が面会に来てくれると、多くの少年が日記に親が来てくれたことの喜びと感謝の気持ちを記します。親とろくに口も利かず、家出をしたりしていた少年たちですが、みんな親が面会に来てくれることを心待ちにしています。彼らにとって家庭がとても大事なものだという、考えてみればごく当たり前のことに気づかされることが多いです。
 また、職員に対して「自分だけを見てほしい」という一対一の関わりを求める様子もよく見られます。少年鑑別所を退所するときに、多くの少年が「自分の話をよく聞いてくれた」「困ったときには相談に乗って一緒に考えてくれた」「頑張ったらほめてくれた」と感想を書きます。
 職員は決して甘やかしたりはしません。規律違反をすれば厳しく説諭します。でも、それは一人ひとりの様子をきめ細かく見たうえでのことです。彼らは大人から自分に目を向けてもらうことを非常に強く求めていると感じます。職員が自分をよく見ていてくれると分かれば、叱られても、納得して従うことができるのです。
 無関心と無視が何より怖いのです。彼らが求めている居場所は社会的な絆であり、身近でサポートしてくれる大人ではないかと思います。
 問題を起こしたその子の行動には何か意味があるのではないかという視点を持って一人ひとりを見て、毅然としつつも愛情と優しさを持って、その子の性格や能力に適した丁寧な働きかけを行うことが大切だと思います。
 親も迷い苦悩していることはよく分かりますので、保護者ヘのサポートはとても大事だと思います。親にもプライドがあります。よかれと思って「こうなさったほうがよろしいんじゃないですか」と言うと、親は自分の子育ての能力、ひいては自分の人間性まで否定されたと受け取ることが私の経験上、多いのです。
 私は最初に「大変でしたね。ご苦労されましたね。おつらかったですね」という、ねぎらいの言葉をかけるように心がけています。責める言葉には絶対ならないように気をつけています。
(
紀 恵理子:長野少年鑑別所長。専門は犯罪・非行の臨床心理学)

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子どもたちに必要なのは見つめられる存在から見つめる存在への転換   土井隆義

 今の若い人たちの自己肯定感の基盤になっているのは、ルックスが良いとか勉強ができるとかではありません。
 人間関係に恵まれていることです。
 ある企業の調査によれば、女子中高生の84%が日々ストレスを感じていて、ストレスの原因で一番多いのが「同級生との人間関係」です。
 人間関係に不安を抱えています。
 友だち関係の中でお互いに空気を読んで、不安を抱かえながら、相手から受け入れられるようなキャラクターを演じながら人間関係を営んでいます。
 若い人たちは、常に自分を見てもらいたい、受け入れてもらいたい、承認されたい、と不安を抱かえています。
 独りでいることが非常に不安になってきている。
 そういう子どもたちにとって、まず必要なのは、「きちんと見ているよ」という承認を与えることが大切である。
 しかし、「もっと見てよ」という気持ちはどんどん肥大していきます。
 どこかで、まなざしの転換が必要です。
 「見つめる存在」への転換です。
 見つめられる存在から、他者を見つめる存在。
 つまり他者にとって自分が役に立つ、自分が必要とされる存在になることです。
 自分が必要とされる側に回ることができれば、これほど強い自己存在感の基盤はありません。
(
土井隆義:1960年山口県生まれ、筑波大学社会科学系教授。専門は犯罪社会学、法社会学、逸脱行動論、社会問題論)

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道理に則って行動すれば価値のある一生を送ることができる    渋沢栄一

 私は裸一貫から今日に至った。東京に出てからは埼玉県の実家から補助なしで自分の努力でやってきた。
 私は実業家だが、大金持ちになることは悪いと考えている。
 財産という無価値なことに向かって一生を葬ってしまうより、実業家として立とうとするならば自分の知識を活用し、主義に忠実に働いて一生を過ごせば、そのほうがはるかに価値のある生涯である。
「金はたくさん持つな」「仕事は楽しくやれ」という主義だ。

 成功、不成功は人間行為の基準ではなく、忘れてはならないものは行為の善悪である。
 私は行為が道理(物事の正しいすじみち。人として行うべき正しい道)に外れないものにするべく努力してきた。

 人がこの世に生まれて来た以上、自分のためだけではなく、何か世のためになるべきことをやる義務があると私は信じる。
 人は生まれるとともに天の使命をうけているのである。

 仕事をやり遂げる基本は、小事ほどおろそかにしないこと。
「ライオンはウサギを追うにも全力を用いる」との諺のように、小事を軽視せず、心を集中して臨めば、間違いは起こらない。
 私は、どんなことでも軽率にしてはならないと戒めている。

 人は知識を磨き、徳行を修め人道(人として守り行うべき道)を大切にして努力すれば、真の幸福はかならず身辺に集まるだろう。
 武士道の真髄は、
「正義」:人の道にかなっていて正しいこと。
「廉直」:心が清らかで私欲がなく正直なこと。
「義侠」:正義を重んじ、強い者をくじき、弱い者を助けること。
「礼譲」:礼儀正しく、へりくだった態度をとること。
 などを合わせたものである。
 実業者にもまた武士道が必要なのだ。
 不正を行ってまで私利私欲を満たそうとしたり、権勢にこびへつらって栄達を図ろうとしたりするのは、生き方の基準を無視したもので長続きはしない。

 真の成功とは、道理に欠けず、正義に外れず、国・社会を利益するとともに自己も富貴に至るものでなくてはならない。
 現代の人はただ成功とか失敗とかを眼中に置いて、それよりももっと大切な天地間の道理を見ていない。
「天道」:天然自然の道理。
 はいつも正義に味方するものである。

 運命をとらえるのは難しい。
 とにかく、人は誠実に努力して運命を待つのがよい。
 もしそれで失敗したら、自分の知力が及ばないためとあきらめ、また成功したら知恵が活用されたとして、成功失敗にかかわらず天命として受け入れるといい。
 このようにして、敗けてもあくまで努力するならば、いつかはまた好運命に出会うときがかならず来る。

 人生の行路はさまざまであって、同じように論ずることはできない。
 まず自ら誠実に努力するとよい。
 公平な天はかならずその人に幸いして、運命を開拓するようしむけてくれるだろう。

 人は何よりもまず道理を明らかにしなければならない。
 道理は終始はっきりしているから、道理に従って事をなす者はかならず栄え、道理に逆らって事を図る者はかならず滅びる。

 一時の成功とか失敗は、長い人生においては泡沫のようなものである。
 そのようなうわついた考えは一掃し、社会に役立つ実質ある生活をするべきだ。

 成功失敗の外側に立ち、道理に則って行動するならば、はるかに価値のある一生を送ることができる。
 いわんや、成功などは、人間としての務めを全うした後に生じる「酒のかす」のようなものだから、気にかけるに及ばないではないか。

(
渋沢栄一:1840年-1931年、幕臣、官僚、実業家。一橋家に仕え、欧州各地を視察、大蔵省官僚を経て、実業に専念し第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立(500社以上)・経営に関わり、日本資本主義の父といわれる。社会・教育・文化事業にも力を注いだ)

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親が子育てで陥りやすい傾向と気を付けなければならないこと     菅原裕子

1 子どもに依存する親
 子どもに依存している親は人生の喜びを子どもに求めてしまいます。
 親は「子どもに押しつけている」とは気づいていません。
 子どもの生き方や人生を指図する権利は親にはありません。
 成功している親は「こうあるべき」と型にはめようとします。それは間違いです。
 子どもにかなえたい夢があるなら、親はだまって背中を押し「困ったことがあればいつでも相談しなさい」と声をかけるべきでしょう。
「自分の人生は幸せでない」と感じている親は、「この子だけは幸せになってほしい」と言います。
 自分ができなかったことを子どもに託し、子どもを自己実現の道具としようとします。
 子どもには子どもの人生があります。親は環境を整え、その才能が開花するまで見守ればそれでいいのです。
2 自我に執着する親
 思春期の子どもは、親が意見を言うと反抗することはあるでしょう。
「口ごたえするな」「ちゃんと聞きなさい」と血相を変えて叱る親がいます。
「こけんに関わる」「なめられてたまるか」という親の考えかたは、怖れに基づいています。
 子どもをコントロールできなくなることに対して恐れを抱いているのです。
「自分は親としてこうあるべき」という考えに執着している親は、あるべき姿からはずれることを恐れます。
 だから、押さえようのない怒りの感情が湧きあがります。
 自分に自信のある自立した親なら、子どもに反論、無視されても平気です。
「あれっ、言い返し手きたぞ。無視したな」と冷静に受け止め、一歩引いて対処できます。
 自分の考えを伝えるチャンスを待つこともできるのです。
3 被害者意識が強い親
 子育てがうまくいかないとき、責任は自分以外にあると主張します。
 ささいなことを必要以上にとらえ、問題を大きくしてしまいます。
 たとえば、子どもが「学校で叱られた」ことを知らされた被害者意識の強い親は、まるで自分の子育てを否定されたように感じて「うちの子のどこが悪いのかきちんと説明してください」と教師につめよるケースに発展してしまいます。
 このような場合は親の「認知のゆがみ」(ものごとを認識する基準にゆがみがあること)を疑ったほうがいいかもしれません。
「認知のゆがみ」とは
 「認知のゆがみ」は特殊なことではないので私を含め、自分にあてはまる人はたくさんいるでしょう。例をあげると、
(1)
「白か黒か」の二者択一で処理する
 ほとんどの事実は、その間のグレーゾーンに存在するものです。
(2)
過度の一般化
 ひとつ悪いことがあっただけなのに「いつものことだ」と考える傾向。どんなことでも否定的にとらえるようになるので気分は晴れません。
(3)
心にフイルターがかかる
 ひとつのことにこだわって考えるあまり、ほかのことが見えなくなる状態。
(4)
拡大解釈と過小評価
 自分の失敗や欠点を拡大解釈し、成功や長所を過小評価してしまいます。
(5)
感情的決めつけ
 自分の感情で物ごとを判断してしまう。
(6)
マイナス思考
 すべてを「悪いこと」にすり替えてしまう。
(7)
結論の飛躍
 思い込みで、現実とはかけはなれた悲観的な結論を出してしまう。
(8)
「~すべき」思考
 何かをやるとき「~すべき」と考え、その基準に無理に合わせようとすることで、自分を追いつめてしまいます。
(9)
レッテル貼り
 失敗したとき「自分は能力がない」とレッテルを貼ってしまう傾向。冷静な判断ができなくなります。
(10)
自分のせいにしてしまう
 トラブルが発生したとき、責任がない場合でも自分のせいにしてしまう傾向。
「自分がもう少し努力をしていればこんなことにならなかった」と考えます。
 では、どのようにすればよいのでしょうか。
 認知がゆがんでいると、ひとつの考え方にとらわれてしまいます。
 ものごとは負のスパイラルに入りやすく悪いほうへと流れていきます。
 そんなとき、救いようがないように感じられますが、じつはそれはひとつの見方でしかないのです。
 ものの見方が変われば、現実と思っていることが変わってきます。
(
菅原裕子:人材開発コンサルタント。()ワイズコミュニケーション社長、NPOハートフルコミュニケーション代表理事。仕事の現場で学んだ「育成」の考えを子育てに応用して「ハートフルコミュニケーション」を開発し、親の子育てや自己実現を援助する活動をしている)

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子どもとの関係に苦労している親は自立した考えを持っていないのではないか   菅原裕子

 子どもとの関係に苦労している親の話を聞くと、多くは親自身が自立した考えを持てないことから発した問題のように思います。
 あなたは親として自立しているか、つぎの項目に答えてチェックしてみてください。
(1)
子どもの気持ちを無視して自分の気持ちを押しつけることはない
(2)
うまくいかないことがあったとき、人のせいにせず自分で解決策を探れる
(3)
子どもと話をするとき、腹をたてたりしないで自分の気持ちをコントロールできる
(4)
子どもは「自分は親から自立している」と感じている
(5)
親として、子どもの将来について冷静に話し合える
(6)
親は自分が「子どものモデルだ」ということを理解している
(7)
親として「自分は子どもとの葛藤や対立を恐れない」と言いきれる
(8)
子どもとは日頃から、対等な立場で互いに理解し合えるコミュニケーションをとっている
(9)
子どもの未来と親としての自分の夢の実現は別のものであることを知っている
 どうですか? 大人として、親として自立している人ほど「イエス」と即答できたのではないでしょうか。
「ノー」がたくさんあった人にとっては、今がスタートです。

「子育ては親育て」などということをよく言います。
 親子は鏡です。

 子どもを自分という鏡に映して見たとき、子どもの問題と思えたものが自分に映し出されます。
 子どもが引っ込み思案だと嘆く親は、子どもを勇気づけなかったのかもしれません。
 子どもが乱暴だと困る親は、子どもにやさしさを教えなかったのかもしれません。
 子どもの自信のなさに不甲斐なさを感じる親は、子どもが愛されていることを伝えきれなかったのかもしれません。
 子どもが勉強しないと困る親は、子どもに勉強の仕方を教えなかったのかも知れません。
 子どもを何とかしようとする前に、親が自分に気づき、自分のやり方を変えることで、子どもにも変化をもたらすことができます。

 それこそが親の自立ではないでしょうか。
 自分が自立していないことに気づき、自立するための努力をすれば、よりよい親子関係を築くことができるようになります。
 親の自立は、同時に子どもの自立を促します。

 親が自立するとき、子どもは安心して自分の道を始めます。
 今、ほんのちょっと立ち止まって、自分を見つめてみませんか?
(菅原裕子:人材開発コンサルタント。(有)ワイズコミュニケーション社長、NPOハートフルコミュニケーション代表理事。仕事の現場で学んだ「育成」の考えを子育てに応用して「ハートフルコミュニケーション」を開発し、親の子育てや自己実現を援助する活動をしている)




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教師と子どもをつなぐにはどのようにすればよいか 椙田崇晴

 教師と子どもの人間関係をつくるということは、信頼関係を築くということです。
 演出と誠実さがポイントです。
1 演出
 演出はつぎのようなことが考えられます。
(1)
語りの場を設ける
 「語り」とは、教師と子どもとの距離を縮めるために必要なものです。
 子どもを指導するために演出した「語り」が必要になります。
 例えば、朝の会で、教師自身の考えや思いを一つだけ語るようにします。
(2)
場の設定
 教師と子どもをつなぐ場の設定とは、子どもと信頼関係をつくることです。
 子どもたちは、教師から信頼されていると感じたときに、教師に信頼感を抱きます。
 そのために、子どもと話し相談にのる場を設定します。
 子どもと話をすることで、その子にどういう問題があり、どういう思いをもっているのかがわかります。
 そして、教師はその思いに真剣に応えようとします。
(3)
教育的な関係を築く
 教師と子どもは同じ立場ではありません。
 教師は、一種のカリスマ性も必要なのです。
 子どもたちに「さすが、先生だ」と思わせることが信頼につながります。
 教科の指導や趣味でもよいでしょう。
2 誠実さ
 教師の誠実さとは、つぎのように本気で子どもと向き合うことです。
(1)
響き合う対話をする
 子どもの、関心や気持ちの動揺、求めていることをきめ細かに受けとめ、交流が深まるよう、明るく肯定的に話し合う。
(2)
存在感を尊重する
 子どもの学習の小さな成果や、子どもが役割を果たしたときは、見逃さずほめる。
 子どもを信頼して、できそうな仕事や問題をまかせてやらせる。
(3)
子どもへの関心をよせる
 ふだんから、子どもに気軽に励ましの声をかける。
 健康や学習の悩みに気づかって声をかける。
 おもしろい話題や楽しい話題に耳を傾けて喜び合う。
 私は、このような対応を心がけてきました。
 すると、子どもとの距離がぐっと近づいていくのが感じられました。
 教師と子どもをつなぐときに、大切にしたいものがあります。
 それは、教師が「自分を開く」ということです。
 教師が心を開くと、子どもたちも心を開いてくれるようになります。
 私は、
「子どもたちに夢や失敗談を語る」
「いつも笑顔やユーモアをもって接する」
「子どもたちと元気に遊ぶ」
 ことによって、自分を開くようにしてきました。
(
椙田崇晴:1959年福岡県生まれ、山口県公立小学校長。福岡県・山口県で小学校教師、特別活動の実践に取り組む。「学級活動ネットワーク」実行委員、「中国学級活動ネットワーク」・「山口学級活動ネットワーク」を設立)

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よりよい学級づくりのために集団活動に必要な力を育てる   椙田崇晴

 よりよい学級づくりのために集団活動に必要な力を育てることについて椙田崇晴はつぎのように述べています。
 学級は日々成長していくものです。
 そのためには必要な力を育てていくことが大事です。
 よりよい学級をつくっていくためには、集団活動に必要な力を一人ひとりの子どもに育てていかなければなりません。それには
(1)人間関係をつくる力
 相手の考えや方法を受け容れる力。
 仲間との組織を活用していく力。
 楽しい学級生活を送るために、友だちと協力していく力。
(2)話し合いで問題を解決できる力
 目的を達成させる力。
 決められた役割をやり遂げる力。
 考えの比較から自他のよさを知り、考えを修正したり改善したりする力。
(3)進んで学級づくりにかかわる力
 新しい考えを発想する力。
 学級生活の向上のために質の高い考えを生み出す力。
 目的達成のための方法を考え自主的に計画を立てる力。
 身の回りの出来事から学級の問題を見いだし提案する力
が必要です。
 このような力を育てるために、最も有効な方法は「イベント活動を仕組む」ことです。
 そのための活動づくりは
(1)みんなのためになる活動づくりであること
 どうしてそのイベントをやりたいのか提案に隠れている学級の問題点を明らかにして、そこからイベントの思いを引き出すのです。
 提案理由が明確になったら、イベントの名前を「めあてが見える」ものにします。
 計画を話し合うには時間が足りなくならないように、めあてに関連したものだけを話し合うようにします。
 例えば「男女が仲よくなるドッジボール大会」であれば「チーム分け」と「練習期間」を柱にするとよいでしょう。
(2)自分たちでつくる活動づくりであること
 大切なことは、全員がイベントにかかわるようにすることです。
 話し合いをするときは、企画の内容を事前に掲示しておき、全員が意見をだして話し合いに参加できるようにする。
(3)失敗を生かした活動づくりであること
 イベント活動は一回目からうまくいくとは限りません。
 子どもたちに「失敗を生かしていく」力を育てていく必要があります。
 そのためにイベントの「振り返りを行う」ことと、学級の目標をイベントのめあてとして位置づけ「継続化を意識させる」ことに取り組みます。
(椙田崇晴:1959年福岡県生まれ、山口県公立小学校長。福岡県・山口県で小学校教師、特別活動の実践に取り組む。「学級活動ネットワーク」実行委員、「中国学級活動ネットワーク」・「山口学級活動ネットワーク」を設立)

 

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数学科:私にとって数学の授業とは何か   玉置 崇

 私にとって数学の授業とは何か玉置 崇はつぎのように述べています。
 若い教師から「授業とは何でしょうか」という質問を受けました。
 授業とは、その時間で一番大切なこと、学ばなくてはいけないことを、
「生徒が自ら気づき、発言する」
「生徒が教師の指導により気づかされ、発言する」
「生徒が仲間との学び合いにより気づき、発言する」
 のが授業である。
 大切なことを生徒が自ら気づき発言するのは、大変なことだと思われるでしょうが、ほんのささいなことでもよいので、生徒に発言させ話させるのです。
 それを積み重ねるのです。
 例えば「正の数・負の数」の単元で数直線について学びます。
 大切なのは、数直線を0から左の方へ延ばせば、0より小さい数も数直線上に表すことができる点を教師が説明してしまわないで、生徒に気づかせるのです。説明させるのです。
教師「この数直線を0から左に延ばすよ。どんないいことがあると思う」
生徒「負の数が書ける」
生徒「0より小さい数が書ける」
生徒「左へ行くと小さい数になる」
生徒「ものすごく小さい数もある」
 このように、生徒に気づいたことを自由に発言させます。
 そして何人かの生徒の発言を重ねるのです。
 そうすることで、自ずと押さえておきたい大切な事柄が浮き彫りになっていきます。
 こうした過程を積み重ねることで、生徒は発言することに自信をもち、自ら数学を語ることを楽しむようになります。
 それに、私は、ふと数学授業でいつも説明するときにとっている手段を思い出しました。「他と比較しながら説明する」のです。例えば、反比例のグラフだけを見ていては、なかなかその特徴は見えてきません。比例のグラフと比較して特徴をとらえさせた方がよくわかります。
(玉置 崇:1956年生まれ、愛知県公立小中学校教師、教頭、校長、愛知県指導主事、教育事務所長を経て岐阜聖徳学園大学教授)

 

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叱るときに考慮すべきことは何か    大塚賢二

 どの方法が生徒指導で効果的なのかは、やはり、指導される子どもの性格や状態によっても違うし、指導する内容や回数によっても変わってくるだろう。
 子どもの状況をよく観察しながら、ベターだと思われる方法を選んで行わなければならない。
 強く指導しなければならないこと、優しく指導した方がいいこと、強く指導してから時間をかけて見守りながら指導しなければならないことがある。
 また、全体に指導した方がいいこと、個人に指導した方がいいこと、などがある。
 ただし、「強い・厳しい」指導をしてから、「弱い・優しく語りかける」指導にすると子どもの気持ちも落ち着いて、指導される子どもも納得し、指導する教師も心がスーッとする終わり方ができる。
 しかし、その逆になると、指導される側には怒りや反発の感情が芽生える場合が多い。
 また、複数の子どもが関係する問題に対する指導は、まず「個別に指導」してから最後の最後に、まとめとして「全員に講話」のようにまとめるのはよいが、逆は、誰が何を言ったのか他の子どもにもわかるので、子ども同士のいざこざの原因になってしまう。
 注意しなければならないのは、指導する時間だ。短すぎても、長すぎてもダメだ。
 短いと「たいしたことなかったな」という気持ちになるし、長すぎると、最初は反省していた気持ちも、徐々に「しつこいな」という反発の気持ちに変わる。
(
大塚賢二:1964年北海道生まれ、北海道公立中学校教師。平成21年度文部科学大臣優秀教員表彰を受賞、北海道情報と教育ネットワーク事務局長)

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いじめを解決をするには何が重要でどうすればよいか   平塚俊樹

 いじめを解決をするには何が重要でどうすればよいか平塚俊樹はつぎのように述べています。
 いじめが発覚したとき、普通に考えれば、最初に相談に行くべきところは、担任だろう。
 ダメだったら校長、教育委員会、警察、法務局の人権擁護委員へというのが順序としては正しいのかもしれない。
 しかし、学校に相談せずに、教育委員会へ行ったり、それを飛び越えて警察や人権擁護委員へ駈け込めば正しかったという場合もありうる。
 これはもう千差万別で絶対的なルールはない。そのときのいじめの程度と内容による。
 いじめは一気に加害者を仕留めないと事態がさらに悪化する。
 裁判は半年から1年と時間がかかり、弁護士はあてにできない。
 場面によっては限定的に活用するなら弁護士は強い味方になる。
 いじめでやっかいなのは、親に相談できず、発覚しないことにある。
 多くのいじめ事件を見てきて、痛切に感じるのは、親子のコミュニケーションがいかに重要であるかということだ。
 ふだんから親子の関係を密に積み重ねていないと、急に迫られても子どもはドン引きするだけだ。
 私が実際にいじめの相談を受けた中から象徴的ないじめはつぎのようなケースがある。
 結論からいえば、いじめの解決に必要なのは証拠集めである。
 証拠は写真や動画、録音、関係者からの聞き取りの記録などを時系列で集めたものである。
 関係者を動かす原動力になる。
 証拠集めに必要なのは「絶対この子を守る」という意思が何よりも重要なのだ。
 子どもの心を開かせるために必要なのだ。この覚悟がない親が多い。
 中学2年の女生徒Aさんが5年間いじめられていて「死にたい」と親戚のBさんに告げた。
 Bさんは「守ってあげる」「学校に行く必要はない、引っ越して転校していい」と言った。
 担任に相談すると「うちのクラスにいじめはない」という返事だった。
 教育委員会に駆け込むと「学校からは、いじめがないと聞いている」と冷たい反応であった。
 学校を休ませ、AさんをBさんの家に引き取った。1週間すると「学校に行きたい」と言い出したので、再び登校させた。
 ここからAさんに内緒で私たちの証拠集めがはじまった。
 Aさんを尾行し、下校時に暴力行為を受けるところを遠隔操作のビデオカメラで撮影した。
 そのときのアザも写真に撮った。
 お守りだよと Aさんに渡した袋の中に録音機をしのばせ、張り込みをしている人間が無線の電波をキャッチして録音した。
 生徒の溜り場に行って雑談し証言を得た。
 また、神経内科医に診てもらい、自殺寸前まで追い込まれた精神的な原因がいじめであるとの診断書を出してもらった。
 証拠集めが終われば、いじめで最も重要な告発である。
 より復讐されることを恐れ、告発を嫌がるからだ。
 Aさんは大人が本気で守ってくれると知り、心を開き了解してくれた。
 警察に被害届(暴力行為、金銭・持ち物を奪う)を出すという方法がある。
 しかし、証拠不十分で受理してくれない恐れもあり、学校に警察の捜査が入れば、視線が被害者の生徒に集中し、学校に通えるかという問題が残る。
 私たちは、これまで集めた証拠を法務局の人権擁護委員に申告した。
 法務局はただちに学校と教育委員会に聞き取り調査を開始した。
 学校は全生徒への聞き取り調査を行い、いじめグループが特定された。
 学校はクラスごとに厳しい監視体制を敷き、謹慎処分やカウンセリングなどの措置がなされた。
 いじめで大事なのは「絶対に救ってやる」という保護者の決意と証拠をひとつでも多く集めること。
 つまるところ、いじめの解決には、保護者の強い覚悟、愛が何よりも重要だということである。
(
平塚俊樹:1968年生まれ、証拠調査士。武蔵野学院大学客員教授。大手会社で顧客からのクレーム処理担当を経て、危機管理専門コンサルタントとして独立、平塚総合研究所設立した)





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この世の中はまさに不条理で、幸福も不幸も、なぜか訪れるときは群れをなしてくる   瀬戸内寂聴

 私は80年以上生きてきて、たくさんの人の人生を見てきました。
 この世の中はまさに不条理です。
 心優しい人が苦しみを味わい、ひどい目に遭うかと思えば、世間から悪党呼ばわりされる、欲深い人間がこの世の栄華を一身に集めて長生きする。
 そんな理屈に合わないことばかりが起きるのが人の世のならいです。
 私たちは、こうしたことを見聞きするにつけ「神も仏もないものか」と思ってしまいがちです。
 しかし、お釈迦さまは人の世は「無常」であるとおっしゃいました。
 誰からうらやむような幸せな生活を送っていても、その幸福がずっと続くわけではありません。
 人間にはそれぞれ定まった寿命(定命)があって、どんなに幸せでもその日の夕方には死んでいるかもしれません。
 今が不幸のどん底のように思えても、ずっと続くわけではありません。
 人の運命は図りがたいものなのです。
 どうか「しょせん世の中は無常」と、心を強く持って生きつづけてください。
 長く生きてきた私の経験と実感ですが、この世の中は幸福も不幸も、なぜか訪れるときは群れをなしてくるものです。
 つまり、いいことも悪いことも一つずつではなく、いくつも集まって押し寄せてくるものなのです。
 ですから、運命を恨まず、これも人生修業のいい機会だと思って過ごしてください。
 辛抱することです。どうか辛抱する心を忘れずに生きてください。
 私たちに与えられている使命は自分自身を幸せにすることです。
 身の不幸を嘆いたり、愚痴をこぼしたり、我慢したりするのではなく、まず他人に対して微笑むことのできる心のゆとりを持つことです。
 困っている人たちの悩みや苦しみを聞いてあげたり、にっこりと笑顔で周囲の人たちに接すると、人の心はいくらか楽になります。
 ただし、これを行うためには、まずあなた自身が幸せに、心豊かにならなくてはいけません。
 あなたが心のうちに幸せを持っていなければ、周囲の人に幸せを分け与えられません。
(瀬戸内寂聴:1922年生まれ、26歳のときに家族を捨てて出奔、小説家を志す。『夏の終わり』で女流文学賞受賞。73年に得度し、法名・寂聴となる。『花に問え』で谷崎潤一郎賞、『白道』で芸術選奨文部大臣賞。『源氏物語』の現代語訳を完成させる。『場所』で野間 文芸賞。文化勲章受章。現在は執筆活動のかたわら、寂庵(京都市嵯峨野)などで法話を行なっている)

 

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学級経営で大切な、たった一つの秘訣とはなんでしょうか

 退職する先輩が別れのときに、
「いいか。学級経営の秘訣はたった一つだ。子どもを好きになることだ。それだけだ」
という言葉を贈ってくれました。
 その先輩は子どもたちから、たいへん人気がありました。
 いつも子どもたちが群がっていました。子どもたちはうれしそうに先生と話したり、遊んだりしていました。
 その先輩も子どもたちといることを心の底から楽しんでいるようでした。
 この言葉をいただいたときは「そんなのあたりまえのことでしょう」と思っていました。
 あるとき、この言葉の大切さがわかるようになりました。
 私自身、うまくいかなかったクラスがありました。
 そのときは、クラスの子どもたちを好きにはなれませんでした。
 担任として、やるべきことはやっていたけれど、どこか冷めている自分がいました。
「この子たちが好きだ。自分のことも好きになってほしい」というふうには、とても思えませんでした。
「好かれようが、好かれまいが関係ない。教師として、この子たちに必要な教育をするだけだ」と思っていました。
 女子のグループ化、やんちゃな男の子の傍若無人な振る舞い、教師を避ける子どもたち、などの問題に、冷めた態度で接する自分がいました。
 本気で子どもたちに向き合えなかったのです。誰一人泣く子がいなかった卒業式が、その一年を象徴していました。
 その一年を振り返ったとき、何がいけなかったのかを考えました。そのときに「子どものことを好きになること」という先輩の言葉を思い出しました。
 その失敗以来、「子どもを好きになる」ことを大事にしてきました。
 学級にはいろいろな子がいます。自己中心的な子、友だちに意地悪な子、無気力な子、自分の権利ばかりを主張する子、教師に悪態をついてくる子・・・・と、実にいろいろな子がいます。
 個人的には私自身も好きになるのが難しい子もいます。
 しかし、それでもプロの教師として、目の前の子どもを好きになる努力をしてほしいと思います。
 好きになれば、当然、
 相手を喜ばせたい、力をつけてあげたい。
 好きになってもらいたい。
 喜んでもらいたい。
 幸せになってもらいたい。
 楽しく勉強をしてもらいたい。
 と思うようになります。
 好きになるのなら、熱く思えるほど好きになってほしい。
 実践するときの原動力となります。
 子どものことを好きになればなるほど、やる気がわいてきます。
 だから、どうか、子どものことを好きになってください。
(
飯村友和:1977年千葉県生まれ、千葉県公立小学校教師。教育サークル「明日の学級づくりを語る会」代表)

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保護者とうまくつき合うにはどうすればよいか   飯村友和

 私は、個人面談や懇談会が嫌でたまりませんでした。
 しかし、そのような気持ちでうまくいくはずがありません。
 まずは自分が楽しくなることを心がけています。
 そして、保護者の方と仲よくなるように努力しています。

 子育ては本当に大変なんです。
 子育てをがんばっているお母さんをまずは褒め、感謝の気持ちを伝えましょう。
 家では見せないよいところを伝えれば、喜んでもらえるはずです。

 改善点は、伝える必要がありますが、その後でよいのです。
 保護者と担任が仲よくなることが大事です。

 懇談会は楽しい雰囲気でつながる時間と位置づけます。
 緊張をほぐし、話しやすい雰囲気をつくるためにミニゲームをします。
 よくやるのが、1つ前の人と自分の「好きなものと名前」を言う自己紹介です。たとえば、

「猫が好きな飯村さんの隣のKポップが好きな田中です」
「Kポップが好きな田中さんの隣のお茶が好きな吉田です」
 というように続けると楽しい雰囲気で始めることができます。
 そのほかに、子どものノートを見てもらい、鉛筆でコメントを書いてもらう。
 子どもたちからのビデオメッセージを見る。
 クラスのイベントを映像で見る。
 子どもたちのアンケートをもとに話し合う。
 このようなネタを数多く持つことが大切です。

 また、少人数のグループに分かれて話し合う場を設け、保護者の情報交換の場、つながる場になるようにしています。
 学級通信を出して、教師の考え、子どものよいところを伝えます。
 授業のことも書くと自分の実践記録にもなります。
 学級通信は親子の会話の話題にもなります。学級通信を出すことを強く勧めます。

 子どもが何かよいことをしたときに、小さな便箋にそれを書き、連絡帳に貼り付けます。
 短いものでも感謝されることが多いです。
 1日3人などと決めて子ども全員に書くようにします。

 保護者とは小まめに電話や家庭訪問で連絡を取り合うことが大切です。
 保護者からクレームがきたとき、いじめなど深刻なことがあったときは、家庭訪問して顔を見ながらお話をした方がよいでしょう。
 場合によっては、学年主任や管理職といっしょに行ってもらうとよいでしょう。

(
飯村友和:1977年千葉県生まれ、千葉県公立小学校教師。教育サークル「明日の学級づくりを語る会」代表)




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国語科:論理的思考力を育てる授業とは    筑波大学附属小学校国語研究部

 論理的思考力を育てる授業について筑波大学附属小学校国語研究部はつぎのように述べています。
 いまの国語授業の問題点は、文章を読んで
「このときの登場人物はどんな気持ちでしたか」
 などと発問して、イメージをなぞる、確認するだけの授業です。
 中心人物の心情を理解した、ではそれが他の物語の文章にどう生きるのかが、なかなか見えてこない。
 だから読む力がつかないのだと思います。
 いまの授業は、物語だとぶつ切りにして、場面ごとに読んでいく。
 その場面はわかったかもしれないけれども、つながっていない。
 これでは論理的とはいえない。
 読むことにおける「論理的思考力」とは、物事を筋道立ててとらえる力です。
 筋道を因果関係や対比、抽象・具象といったとらえで思考することです。
 論理的というときには、やはり文章の仕組み、構成とかを教えるのが国語の授業。
 こういうところに着目して読むんだよということを教える。
 それらのことが身について駆使して自分で筋道立てて、物語を読み、表現できることが大切です。
 だから文学作品の場合に大事なのが、作品を丸ごととらえて、全体のつながりの中で判断できるという論理的な読み方です。
 論理的な思考力として、因果関係、具体と抽象がある。
 それに、比べるというのがあります。
 相違点を見つける、対比的にとらえる、類比、共通点、似たところは何かというように。
 それからもう一つ国語では、言い換えるというものが大切かなと思っている。
 友だちが言ったことを、
「言い換えるとこういうことじゃないの」
 という話し方ができること。
 つながりも大切です。
 文学作品を授業で扱うときに、つながりのどこの部分を焦点化して授業をするのか。
 語句と語句、文章と文章、場面と場面がどういうつながり方をしているか。
 たとえば「白いぼうし」では場面をおさえるだけで、おもしろいことが見えてくる。
 その物語の変化と人物の変容が見えてくる。
 教材の特徴、教材がもつ論理というものをしっかり見ぬいていくことが大切になってくる。
 何をすることがこの教材で子どもに学ばせることになるのか。
 これまで教えたことを、この教材で活用できるかを考える必要がある。
 思考というのは、そういう学んだ国語の力を子どもが組み合わせて使っていく過程じゃないかと思う。

 

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授業崩壊に陥る原因と、陥らないためにはどのような教師になればよいのでしょうか

 授業崩壊に陥った教師には、私の体験から、つぎのような傾向があるように思われる。
1 教師としての指導力
(1)
指導方法に更新がなく、授業が分かりにくく、退屈である。
(2)
子どもたちの反応や関心に無頓着で、意見の取り上げやまとめ方に温かみや指導技術が感じられない。
(3)
一人ひとりに応じた指導ができず、学級をまとめることができない。
 子どもの実態に応じて、指導の仕方を変えなければならないのに、どの子どもに対しても、いつも、どこでも同じ指導を繰り返している。
 教育とは何か、教師の仕事とは何かが曖昧でプロ意識が希薄である。
 教師の使命である授業を成立させる「水準以上の教育技術」を求めて磨き、更新する研修をほとんどせず、自己向上の努力を怠っている。
(4)
配慮を要する子どもの指導や対応に追われ、学級や他の子どもの指導がおろそかになる。
2 子どもとの関係
(1)
カウンセリング・マインドに欠け、子どもの心を傷つけたりして、子どもとの信頼関係が崩れている。
(2)
力で子どもを押さえつけ、規律を保とうとする。
(3)
子どもへの愛情が不足し、一人ひとりに対する温かいかかわりがあまりみられない。
 子どもとのコミュニケーションを大切にし、かかわりを持つことにこだわってほしい。
 子どもには無条件に愛情を持ってほしい。
 子どもも人間であり幸せを求めている。それを受けとめ、よくありたいと生きれるように援助できる温かい教師でありたい。
 社会が変化すれば、当然子どもも変化する。
 そのことを冷静にとらえ、子どもを肯定的にとらえ、対応できるようにしたいものである。
(4)
「子どもの欠点」を優先して授業をしている
 子どものよさに着目することの多い教師は子どもたちに好かれ、子どもの欠点に目がむきがちな教師は嫌われる。
 例えば、ベネッセ教育研究所の調査では、90%以上子どもから支持されている教師の特徴は
「先生からほめられた。がんばったねと言われた」
「感激するような話をしてくれた」
「授業中、冗談を言って笑わせる。休み時間遊んでくれた」
 逆に、子どもの支持が半数以下の教師は
「遅刻に厳しい。先生の言うことを聞かないと強く叱る。忘れ物をすると厳しく叱る」
 ことをあげている。
「子どもの欠点」を優先して授業をしているといえそうである。
 子どもから支持されない授業は、保護者からも支持されず、反省すべきことを含んでいる授業なのである。
3 教師の個人的な面
(1)
頑固で人の忠告を素直に聞かず、授業や学級運営について他から学びとろうとしない。
(2)
自分の指導に自信がなく、明るさ、活気があまりない。
(3)
判断に時間がかかり、その判断が曖昧で主張が弱い。
 授業崩壊に陥らないようにするには、どのような教師になればよいのでしょうか。
 教師は、人間である子どもを対象としている。
 だから、まず教師は人間として輝いてほしい。
 前向きで、元気で、明るく自分らしく生きつづける存在であってほしい。
 私が尊敬する先輩教師は、子どもに対する愛情と、明るさ、元気さ、プラス志向がこれからの教師には必要だと説いている。
 愛情の溢れる教室、温かい教師と友だちのいる教室は、安定した授業の基盤になる。
 先輩教師のいう教師に求められる教師像とは
(1)
子どもへの愛情
 子どもが好きで好きでたまらない教師だけが、子どもの授業にかかわる資格がある。
(2)
明るい、元気、プラス志向、プラス思考
 生活を楽しみ、物事に創造的にかかわる中から、いろいろなことが分かり、解決し、楽しくなっていく。
(3)
パフォーマンス
 表現力のある教師でありたい。子どもと語り合い、かかわり合い、自由に屈託なくつきあえる教師でありたい。
(4)
レクレーション・遊び・ゲーム
 がき大将にならない程度に子どもと遊べる教師でありたい。
(5)
ユーモア
 子どもの冗談が分かり、ときには子どもに通ずる冗談の一つも言えるようでありたい。
(6)
ゆとり・柔軟性・度量
 原則を承知していて、柔軟な、実際的な、子どもの心にしみ入る判断や対応がとれるようになりたい。
 それを決断し実施する尺度は「子どもへの愛情」と「子どもためになる」という確信であろう。
(7)
カウンセリング・マインド
 子どもを分かり、子どもの心と立場が分かり、そして焦らず、その子の歩みに沿いながら援助してあげられる教師でありたい。
 授業のなかで、遊びや生活のなかで相談的手法を大いに活用したい。
(8)
生涯、学び続ける
 学ぼうとする教師の息づかいに子どもは感化されるのである。
(9)
知恵を伝える
 教師は子どもの人生の先輩である。いろいろな場面で、子どもに知恵を見せる存在でありたい。
(10)
集団を統率・調整する力をもつ
 学級集団をまとめ、子どもたちを居心地のよいものにすることは、きわめて大切なことである。
(11)
実践的指導力
 教師は、なんといっても、子どもに楽しく、分かりやすく、意味あるものとして授業を展開したり、生活指導をしたりする技術が身についていなければならない。
 そういう技術を持っていない教師は、教師としての役割を果していないのである。
(
小島 宏:1942年東京生まれ、東京の国公立小学校教師、指導主事、小学校長を経て多摩教育調査研究所長)

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校長からみた授業崩壊の原因と対応策

 授業崩壊の主な原因は教師の授業力の不足にあると思います。つぎのようなことが考えられます。
(1)
一方的な教え込みで、子どもの学習意欲や興味・関心を無視している。
 教え込み授業は子どもを飽きさせ、私語を誘発する。
(2)
子どもをまとめる力、授業規律、学び合わせる指導技術が不足している。
 いけないことはいけないと毅然とした指導ができていない。遊びと学習のけじめがつかなくなっている。
(3)
授業展開・きめ細かい指導・指導と評価と支援の一体化が不十分である。
 あいまいな授業で、わからない・学習意欲のない子どもがいる。
 話し方があいまいで、長く、繰り返しがあり、子どもにそっぽを向かれている。
(4)
教材の研究や準備・発問や板書・ノートの点検などが不十分である。
(5)
校長や先輩教師の指導助言に耳を貸さず、向上心に乏しい。
(6)
学校としての授業改善の取り組みが不十分で学習形態や指導体制が整備されていない。
 授業崩壊が起きないように予防するには
(1)
研修をする。教師一人ひとりの理解を整理する意味で研修内容を報告させる。
(2)
授業観察を通して管理職やベテラン教師が指導助言する。
 授業力を向上させるため「よいところや進歩したところ」見つけ、ほめて自尊心をくすぐり、意欲づけをして「もっと授業がうまくなるための注文」をつけて自ら研鑽するようにする。
(3)
課題のある教師に示範授業を参観させる。
(4)
課題のある教師に対しては手厚く、ぬくもりのある対応が必要である。
 疑問や悩み事、わからないことの相談に応じる雰囲気づくりが大切である。
 授業崩壊が起きた場合の対応は
(1)
指導によって回復する見込みがあるときは、校長や教頭、ベテラン教師が課題を指摘し、指導する。
 授業の計画と展開、学習評価など基本的なことを必要に応じて指導する。
 授業そのものを点検して具体的に改善し、授業規律について指導する。
 体験的活動、問題解決学習、発問や板書、学び合い、学習のまとめを工夫させるようにする。
(2)
一部支援をすれば回復する段階では、教頭や空き時間の教師が、TT体制でかかわり、授業規律や学習活動の進め方などの回復を図る。
(3)
軽減や補助をつければなんとかなる場合は、校務や授業の一部を軽減し、他の教師に肩代わりさせ、授業の立て直しをする。並行して研修させる。
(4)
交代させる段階では、一時的に交代させ、授業規律や学び方について子どもに再指導するとともに、遅れを取り戻す。
(5)
校長・教頭・学年のすること
 管理職として、授業崩壊がどの段階にあるか見極め、必要な対策を迅速にとる。
 シナリオをつくり、学校を挙げて回復に取り組むようにする。
 当該の教師は成果がでない毎日に疲労困憊している。
 孤立させないよう、学年として可能なかぎり支援することが重要である。
(
小島 宏:1942年東京生まれ、東京の国公立小学校教師、指導主事、小学校長を経て多摩教育調査研究所長)

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算数:解き方を友だち同士で説明し筋道を立てて考える力をつける    間嶋 哲

 解き方を友だち同士で説明し筋道を立てて考える力をつけると間嶋 哲はつぎのように述べています。
 一部の子どもの型通りの解き方を説明させるのではなく、子どもたち同士で説明しあい「なるほど」と納得する体験を積んでほしい。
 鶴亀算など「○○算」と呼ばれる文章題がありますが、こうした問題は習った知識やスキルを活用していろいろな方法で解くことができ、思考力を高めることができます。6年生のまとめにはふさわしい問題です。
 鶴亀算には、大きく分けて二つの解法があります。
 表で数値の変化を調べる方法と、「仮に7匹全部亀だとすると・・・・・」などと仮定する方法です。
 6年生のクラスで「鶴と亀が合わせて7匹います。頭の数は7個ですが、脚の数は22本。それぞれ何匹いるでしょうか」と問うた。
 問題を加工して、抽象化して考えられるようにした。7匹の鶴と亀の頭を同じ丸形にし、脚も同じ形にそろえ、胴体をつい立で隠した。
 子どもたちは思い思いの方法で挑戦した。絵を描いて脚の本数を数える子。
「鶴1羽、亀6匹」など、計7匹になる組み合わせを何通りも考えて計算した子。
 解けた子どもは前に出て、長い筒を通して答えを私に耳打ちする。
「惜しい。合わせると7匹にならないよ」と考えるヒントを加えて返事をする。
 次に、わかった子が周りの友だちに解き方を説明する。
 納得できれば「!」を相手の子にプリントに書く決まりにしている。
 「カンで解けても、うまく説明できません。友だちと説明しあえば、筋道を立てて考える力がつきます」
 最後に「!」をたくさんもらった子3人が、自分の解法を説明した。
 子どもたちの素朴で地道な発想も大切にしたい。
(間嶋 哲:1965年生まれ、新潟県公立小学校教師、文部科学省で1年間研修、新潟市指導主事を経て新潟市立小学校校長)

 

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授業中、子どもが居眠りしているときどうすればよいか    川端成實

「授業中に何を居眠りしている!」とみんなの前でいきなり叱責することは避けたい。
 子どもは、自分が悪いと思っていても、みんなの前で恥をかかされたととらえ、素直に謝罪しないことが多いからである。
 居眠りにも理由がある。
(1)
体育の授業後
(2)
午後の授業時間で眠気がさす
(3)
体調が悪い
(4)
寝不足
(5)
教師への挑戦・反抗
 など様々である。
 個々の状況を踏まえて指導することが必要である。
 授業中に居眠りしている子どもに
「夜更かしをしたのか」
「何か私に訴えたいのか」
 などと予想を立てながら、近くにいって小声で
「どうした? 体調がわるいのか?」
 と声をかける。
 本当に居眠りをしていた場合でも、こう聞かれれば居眠りを攻撃されている感情は生まれにくい。
 体育の授業の後で、数名が居眠りをしている。
「みんな疲れているようだけど、よくがんばっているね」と声をかける。
 一人寝たままの子どもがいた。
 同じ班の子どもと視線が合ったので、目で合図を送ると肩を軽く叩いて起こしてくれた。
 これをきっかけに
「近くの人が居眠りしていたら、肩を揺すって起こしてあげよう」
 と、全員が授業に参加する約束をつくった。
「授業のじゃまをしなければ居眠りはいい」という言い方は避ける。
 居眠りの同調者が増え、授業不成立の原因になりかねないからである。
(
川端成實:元鹿児島県公立中学校教師)









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教育を「注入・受け身」から「支援・自律」に乗り換えることが問われている   福田誠治

 教育を「注入・受け身」型から「支援・自律」型に乗り換えることが問われていると福田誠治はつぎのように述べています。
 週刊誌「AERA」に子育ての話が載っていた。子育ては「五感を使って親子で楽しむこと」を重視したものだ。
 たとえば、童謡の本があれば親子で一緒に歌い、歌に合わせてピアノの鍵盤をたたき、白黒の挿絵にはすべて色を塗った。
 スーパーマーケットに買い物に出かけるときには「今日探し」をしながら歩いていく。「昨日と違うもの」を見つけるのだ。
 名前を覚えるよりも、名前も知らない雑草などに目を向けて「新しい世界」を大切にしたのだという。
 子どもには探求力なり観察力を養っていることになる。
「ただ娘と一緒に遊ぶことが目的でした。私自身が、非常に楽しかったんです」
 と、母親は回顧している。
 母親は、子どもが二歳になると、近所の図書館で月20冊の貸し出し限度いっぱいの本を借りてきて「読み聞かせ」をした。
 文字を追うだけではなく、登場人物になりきって、二人で歌い、体を使って演技し、ことばの意味を体現した。
 文字を優先せずに、事物に触れて感動することでイメージをわかせた。
 また、子育てを楽しむ大人を見て、子どももまた人生を楽しむように育ったのかもしれない。特別な子育てというわけではない。
 私たち多くの親は、逆のことをしていないか。
 子どもにはおもちゃを買い与え、子どもの学びの習慣形成に無関心で、学校に期待をかけ、足りないとなれば塾にたよる。
 子どもは意欲が少ないまま進学し、いつまでも自立せず、学力不足のまま社会に出ていく。
 今の日本人の教育に対する考え方がゆがんできている。
 学力は商品に似て金で買うものという考えが普及してきた。
 学力は自分のために修業によって自らが学びとるもので、学力は血となり肉となって自分自身を作るものという考えが消えつつある。
 日本の子どもたちには、教育は他人から与えてもらうもの。
 自分の生活や生き方と関係なく自分の外で、自分とかかわりなく決まっているという感覚が強い。
 自分から苦労して学び取るものという積極性がなくなってしまっている。
 個性の多様な能力が生かされていない。
 学びの実感を持てなくなっているとも言えるだろう。
 テストが横行すれば多くの子どもは自尊心を傷つけられるだろう。
 だとすると、答えを支援する教育から、子どもの学びを支援する教育へと、日本人の教育観を組み替える必要がある。
 人生の扉を開けるのは、子ども本人であって、大人が先に開けてしまってはいけない。
 今こそ教育ソフトを「注入型」から「支援型」に、学習ソフトを「受け身型」から「自律型・自立型」に乗り換えることが問われている。
(福田誠治:1950年岐阜県生まれ、都留文科大学教授を経て同大学理事長。専門分野は「近代化と人間形成、とりわけ言語と能力形成」)

 

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創造的な学びで、社会に求められている自立型人間を育成する  伊藤邦人

 創造的な学びで社会に求められている自立型人間を育成すると伊藤邦人はつぎのように述べています。
 いくら上手な授業をしたところで、教師の作った道筋の上でしか子どもたちが学べない授業(マニュアル授業)であれば、指示されたことしかできない指示待ち人間しか育てられません。
 これに対して、「授業のめあて」(これだけは子どもたちに理解させたいポイント)までの道筋をかくした授業(クリエイティブ授業)は、子どもが自ら考え、判断し、行動できるような創造的な学びにつながり、自ら新たなことを創り出そうとする自立型人間が育成されます。
 マニュアル授業とクリエイティブ授業とでは、子どもたちの目の輝きが全く違ってきます。人は本来、創造的に学ぶことを好む生き物だからです。
 クリエイティブ授業をつくるためには「仕掛けと演出」が不可欠だと私は考えています。
 常に「仕掛けと演出」を念頭に置いて授業を組み立てれば、常にクリエイティブ授業ができます。
 クリエイティブ授業をつくる上で、大前提となるのが「かくす」という仕掛けです。
 授業づくりは、「めあて」をかくすところから始まります。
「めあて」をかくし、子どもたちが創造的に考えていく中で、その「めあて」を発見していく流れを考えるわけです。
 イメージとしては、授業のゴール「めあて」から、スタートへ逆算して授業をつくるような感じです。
 大枠の流れをつくった後、子どもたちの意見を整理したり、子どもたちを惹きつける工夫をしたり、いろいろな方法で指名をしたりと、細部の演出を組み込んで授業づくりは完成です。
 それは、推理小説に似ています。
 犯人がわからず、先が読めないからこそ、どのような展開になるのかわくわくするのです。
 例えば、算数の「四角形の性質」を学ぶ授業を考えます。
 マニュアル授業では、初めから「辺に関する四角形の性質」を見せてしまっているので、後はそれに沿って答えを出すだけです。
 子どもたちは、教師から尋ねられたことに答えるだけなので、思考が揺さぶられることはありません。
 それに対して、クリエイティブ授業の場合「四角形の性質」をかくしているので、子どもたちは、角・辺・対角線など、さまざまな観点から図形を見ようとするわけです。学びが多角的になります。
 例えば「次の四角形(グループ1:長方形・台形・平行四辺形、グループ2:ひし形・正方形)は、どのように仲間分けされていますか?」
子どもは
「角の大きさは関係ないのかなあ?」
「2グループのひし形と正方形は、全ての辺の長さが等しいです」
「ひし形と正方形は、対角線が垂直に交わることも共通しています」
「なるほど!」
 社会で求められている自立型人間を育成するためには、子どもたちの発想があふれ出し、創造的な学びにつながるクリエイティブ授業が必要とされています。
(伊藤邦人:1980年大阪府生まれ、学習塾勤務を経て、立命館小学校教師。学習塾にて、The Teachers of the Year大賞を受賞。学習塾のよさと小学校のよさを融合させた新しい教育システムを構築。「クリエイティブ」を教育の柱とし、子どもを最大限伸ばす学級づくり・授業づくりの研究を進めている)

 

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授業中におしゃべりをやめない子どもがいるときどうすればよいか   富永裕一

 授業中におしゃべりをやめない子どもがいるときどうすればよいか富永裕一はつぎのように述べています。
 授業中におしゃべりするのは、勉強に対して投げやりになっていたり、授業そのものに魅力を感じていないことが多い。
 授業を子どもたちの世界が広がるように工夫したりする必要がある。
 授業後、おしゃべりのやまない子どもたちの思いには配慮せず、職員室などに呼び、
「どんなに周りに迷惑をかけているか」
 と、一方的に説教すると、おしゃべりがなくなることもある。
 その代わり、授業中に最初から最後まで寝るようになったり、騒ぎやすい授業では、逆に発散するように騒ぐようになったりする。
 子どもたちの話にも耳を傾け不安や悩みに共感するようにすることが大切である。
(富永裕一:札幌市公立中学校教師)

 

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他人と過去は変えることができない   安次嶺敏雄

 他人と過去は変えることができないと安次嶺敏雄はつぎのように述べています。
 学級担任として、目の前にいる子どもたちが学習や遊びに取り組むようにするには、どこから、どのように手をつけていいのか苦悩の連続であった。
 しかし、早く何とかしなければと焦れば焦るほど、問題は一層泥沼化し、小言や叱責が多くなり、子どもたちは私から一人、二人と離れていき、孤立無援の状態になることが度々あった。
 そんなとき、経験豊富な生徒指導主任は、私の一部始終を見ていたかのように、たった一言、
「『他人と過去は変えることはできない』という言葉があるよ」
 と、何気なくつぶやいた。
 初めのうちは、その言葉の意味がよくわからなかったが、生徒指導の本を貸してもらったり、雑談を交わすうちに、少しずつ理解できるようになった。
 子どもに対する私の要求や思いがあまりに強く前面に出て、一人相撲となり、子どもを追い詰め、自分自身をも窮地に落とし入れたのではないかと気づいたのである。
 子どもの問題行動が起きたとき、担任として一気に解決を図りたいという思いが強い。
 私はこの思いを長年胸に抱きつつ、注意・説教・約束など、あらゆる方法で解決に取り組んできた。
 ところが、結果的に問題解決につながったものは、なかったように思う。
 人は脅しや約束、説教で変わるものではない。
 子どもにすれば教師との約束は一時しのぎに過ぎない。
 その後の子どもたちの行動を見れば火を見るより明らかである。
 つまり、外からの圧力や指示よりも、自尊心や人間性など内面への働きかけが、いかに有効であるか、身を持って痛感させられた。
 人間は、指示や命令で変わるものではなく、子どもといえども、人格と人格、魂と魂のふれあいによるものでなければ、人は変わるものではないことを、失敗や苦悩する中から、やっと気づき始めた。
 教師としての思い上がりが、ときとして子どもへの指導という名の一方的な強制であったり、押しつけであったりしていないか、反省している。
 子どものあるがままを受け入れ、内面を理解して自己変容を図るという、教育相談的な手法について、気づかせてもらった。
 いい先輩教師とのめぐり合わは、教師としてラッキーだったと感謝している。
(安次嶺敏雄:元沖縄県公立小学校校長)

 

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いくら忙しくても頑張れるのは子どもたちの笑顔を見たいから  栗原 剛

 いくら忙しくても頑張れるのは子どもたちの笑顔を見たいからと栗原 剛はつぎのように述べています。
 教師になって十数年になりますが、最初の年はいま考えると自分でも恥ずかしい。
 大学で勉強したことは実践向きではないことを実感しました。
 先輩の先生に相談したり、勉強会などに参加して何でも吸収しようと無我夢中の一年でした。
 勉強し、自分なりに工夫した国語の授業(一読総合法:最初から精読も味読もする)で、子どもたちから「先生、国語って楽しいね」と言われたときは、本当にうれしかったですね。
 高学年の担任を受け持って痛感したことは、いくらかっこいいことを言っても子どもたちの心には響かないんです。
 体当たりで飾らずに話さないといけない。
「先生はこう思っているんだ」という本音の価値観をぶつけて、そこから子どもたちなりの考えを導き、個性のある価値観をつくる手助けになれば、素晴らしいことだと考えています。
 小学校の低学年は幼稚園の先生と同じで体力勝負みたいなところがあります。
 高学年は心が疲れます。教師と対等に話をする子も出てきます。一筋縄ではいかない微妙な年ごろですね。
 毎日いろいろと悩んでいます。
 教師の仕事って、こだわればこだわるほど増えていくんです。
 子どもたちのために「これもやろう、あれもさせてみたい」と思うと、どんどん増えていきます。
 職員室で冗談で「適当にやろうと思えば、いくらでもできるんだけと」と仲間の教師と話しています。
 でもいくら忙しくても頑張れるのは、やっぱり子どもたちの笑顔を見たいからですね。
「あっ、わかった」というときの満面の笑みを見ると疲れも吹き飛んでいきます。
 いまの子どもたちは変わったと、よくいわれますけど、そんなに変わったとは思えません。
 社会環境が変わり、それを子どもたちが受け止めて、周囲に返信しているのだと思います。
 精神的に幼くて授業がやりにくいといった声もありますが、それがいまの子どもの特徴で、子どもが悪いわけではないと思います。
 むしろ、そういった子どもがいるのに、じっくりと向き合って話をする時間が取れないほど忙しい自分を反省しています。
 とにかく、少しでも時間がほしいと思う毎日です。
(
栗原 剛:東京都公立小学校教師)




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朝の会や帰りの会で集中しないときどうすればよいか   重水健介

 朝の会や帰りの会で集中しないときどうすればよいか重水健介はつぎのように述べています。
 私語やよそ見をする子どもが多く、集中して話を聞いていないときは、担任の指導や子ども同士の働きかけによって集中を取り戻し、規律ある状態の定着をめざします。
 私は司会者の子に発言を求め、
「司会の人は時間がかかってたいへんだと思うが、全員が静かに聞くまで会を進行しないでください」
 と言った。
 多くの子は、はっとしたように姿勢を正し、私の方を見た。
「3班はすぐに全員静かになった」
 と言うと、子ども同士で「シーっ」と私語を制する姿が見られた。
 その後は、静かに進行できた。
 係が教科の連絡をしていたときは、私は会を一時中止するように告げ、全員に
「明日の数学の持参品は?」
 と聞いた。
 半数近くの子はわからず、気まずそうにしていた。
「聞いていないからそうなる」
 と言い、正面を向く、必要事項はメモをすることなどを再確認した。
 私は会の終わりに、
「聞いていない人がいるなかで帰りの会をすることは、司会や係を無視していることなんだ」
「『みんなで支え合う』という学級目標に近づいているといえるだろうか」
「騒がしくなったら、お互いに注意しあって会を進めよう」
 と話した。
 私語している子どもを個別に注意するのは、時間がかかるうえに、その間、周りは騒がしい状態になるので効果的ではない。
 ときには、きつく叱る場面があってもよいと思うが、それが続くと、子どもは「またか」とマンネリ化して、聞こうとしなくなる。
(重水健介:1958年長崎県生まれ、長崎県内の公立中学校で数学担当として約30年間務めたあと、著述、講演活動に入る。日本群読教育の会事務局長)

 

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協同的な学びをつくるためにはどのようにすればよいか    和井田節子

 協同的な学びは、生徒たちを授業の中でつなぐことによって、生徒同志で補い合い高め合う学びを生み出そうとするものである。
 すべての生徒が励まし合って学び、高いレベルの挑戦を行うことを可能にする。
 協同的な学びの良さは、学びが主体的・能動的になる。
 理解したことを他者に説明する場面が多いために、学んだことが定着しやすいし、応用がきく。
 考える力、問題解決の力が育つ。
 仲間から必要とされるため授業中に居場所ができる。
 学び合う仲間ができる。
 欠点は、協同的な学びは一斉授業よりも教師の準備が大変ということだろう。
「何を教え、どう考えさせるか」
「そのためには、どのような問いをつくるか」
「どのような資料を用意すれば学びが深まるか」
 まで考えなければならない。
 しかし、それがうまくいったときは生徒と教師が幸せな気分になる。
 次のステップを参考にして考えると「協同的な学び」の授業を組み立てやすい。
(1)
授業の目的、流れ、課題の説明(教師)
(2)
生徒が課題に取り組む(4人のグループ)
(3)
課題について全体で交流し、深め合う(互いの顔が見える、コの字型の座席で)
(4)
ジャンプ(高いレベルの)課題の提示(教師)
(5)
ジャンプ課題に取り組む(生徒)
(6)
ジャンプ課題について全体で交流し、深め合う
(7)
まとめ(教師による解説、生徒による振り返りなど)
 効果をあげている学校は、月に一回程度校内で授業公開している。
 全ての教師が年に一度は提案授業を行うと効果がうまれやすい。
 授業公開で授業を見る際は、生徒がどのように学んでいたか注目し、その様子を観察し、検討会(学年単位)で授業者に伝えるようにする。
 ビデオで授業を教室前方から記録すると、あとで振り返るときに役に立つ。
 協同的な学びの授業検討会は、授業を見た教師全員から、生徒がどのように学んでいたかということを中心に意見や感想を話してもらう。
 そのあと、授業者から話をしてもらい、さらによいものにしていくために協議をする。
 教師がどう教えたかではなく「生徒が学びに集中したとき、どのような工夫がなされていたか」など、生徒がどう学んだかに着目して話し合うようにする。
 全校で授業検討会ができるようになると生徒の変化は早く、よい方に変わってくる。
 とはいえ、協同的な学びは、教師も生徒も、探求する中で深まっていくものである。
 教師が授業内容の吟味や、やり方の工夫を怠ると、だんだん崩れてくる。
 だから、教師は常に学び続ける必要がある。
 協同的な学びの研究会が全国にできつつある。
「学びの共同体研究会」では、ホームページをつくっている。
 研究会や公開授業検討会の情報が得られるし、助言者を派遣してもらいたいときは相談できる。
(
和井田節子:1958年生まれ、25年間千葉県公立高校教師、スクールカウンセラー、名古屋女子大学准教授を経て共栄大学教授。若い教師をサポートする会代表、専門は学校臨床学)




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社会人を経験して教師になった人は話題も豊富で、人間性も豊かで魅力的な人が多いように思う  岡部芳明

 社会人を経験して教師になった人は話題も豊富で、人間性も豊かで魅力的な人が多いように思うと岡部芳明はつぎのように述べています。
 僕は福祉事務所の職員から静岡市の小学校の教師になった。
 その頃は、社会人を経験してから教師になる人は、まだ珍しかった。
 しかし、最近は社会人を経験してから教師になる人も増えてきた。
 そういう人たちは、教育に夢と情熱をもち、あきらめずに回り道をして教師になった人がたくさんいる。
 回り道した分、話題も豊富で、人間性も豊かで魅力的な人が多いように思う。
 教師には、民間会社同様に専門知識だけでなく、創造性や協調性、コミュニケーション力等も問われていると思うが、教師にとって大事なことは、教育に夢を抱き、情熱を持ち、子どもとともに自分を高めていこうとする姿勢ではないかと思う。
 私は心豊かで、たくましく、思いやりのある人間を一人でも多く育てたい。
 以前から書きためていた話を本にしました。
 これからも、子どもたちの心を揺さぶる話をしたり、心ときめく体験をさせたりしていく中で、ともに心豊かに成長していきたいと思っています。
 日々の授業は、目の前の子どもに思い寄り添いながら、教科の本質を押さえ、「教えるべきことはきちんと教える」そのうえで「考えさせる」そのような単元展開を構想していきたいと思います。
 今後、年を重ねても、新しいことを学んでいく謙虚さと、子どもたちの豊かな発想に負けない柔軟性、そして、教育に情熱と夢をもち続けていこうと思います。
(岡部芳明:1965年生まれ、福祉事務所を経て、静岡県公立小学校教師)

 

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学級崩壊を手助けしても最後は担任が自分で自分を変えていくしかない    塚田 亮 

 経験の豊かな小学校の教師でも子どもが話を聞かず、授業が成立しないことがある。
 今まで学級経営ができていたのに、なぜ急に学級がまとまらなくなってしまうことがあるのだろうか。

 いくつかの学級崩壊の事例を見たとき共通性があるように思う。
 それは教師の指導力の不足であるが、その中でも、教師の特に発言や態度に関することが大きいとみている。

 たとえば、
 子どもの悪口
(欠点)を言う。
 めりはりがなく「YESとNO」を徹底させない。
 子どもの言い分を十分聞かない。
 熱心さ、一生懸命さが伝わってこない。
 といったことが考えられる。

 子どもたちの不満を調べてみると、
「先生が話をよく聞いてくれない」
「一方的にぼくたちだけを注意する」
「いけないことをもっとはっきり言ってほしい」
 といった点に絞ることができる。
 担任に対する不信感が子どもの心の根底にあるようだ。

 この感情を子どもたちの心から拭い去るには、まず子どもと一緒に遊んだり、子どものよい面を見つけてほめてやることから始めてみるとよい。
 次に、子どもの不満や言い分を十分聴く場を持つようにする。
 私は担任と一緒に話を聴いてあげ、励ましたり、自覚を促したりした。
 このための時間を放課後に取った。
 そして、YESとNOをはっきり言うように担任に働きかけた。

 担任と子どものボタンのかけ違いを修正するには、心して一つひとつ基本的な事項を積み重ねていかないと、子どもや保護者の不信感は拭い去れない。
 感情的な対立の溝は、そう簡単には埋まらない。
 自分一人で悩んでいるのではなく、周りの教師や校長・教頭に相談して、早く手を打つことが必要だ。

 学校全体としての支援体制づくりをする。
 子どもと教師との信頼関係の確立と意見表明できる学級づくり。
 正義感や判断能力の育成など、実践すべきことはたくさんある。

 しかし、どんなに周りが手助けしてもできないところがある。
 それは、子どもや保護者、仲間の教師に自分をさらけ出して、自己変革しようとする意志と実践力である。

(
塚田 亮:元東京都公立小学校長)

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国語科:読解力を高める読み方とは   中島克治

 読解力を高める読み方について中島克治はつぎのように述べています。
 国語で求められている読解力とは、筆者や登場人物の言っていることや伝えようとしていることに対して、「こういうことを言っている」とか「こういうことを伝えようとしているのだと思う」と、自分なりの言葉で表現できる力です。
 そういう力をつけるには、文章を読みながら「要するに作者は・・・・・と、考えているんだな」と、心の中で言いかえてみるのが効果的です。
 書き手の意図を意識して読むことで、しだいに行間にこめられたものまでも感じられるようになっていくのです。
 この意識的な読書で一番大切なことは、書き手の思いや伝えたいことを「自分なりの言葉で言いかえる」ということ。
 ただ書き連ねてある言葉を抜き出してつなげただけでは、書き手の意図を自分なりに理解したことにはなりません。
 そのためには、文章の具体的な表現や展開にだけとらわれるのではなく、ときにはそこから離れて作品全体を見渡すような行為もまた必要になってきます。
 国語ができるようになりたいのなら、本を読もう。
 これはよく言われることですし、私もそう指導しています。
 しかし、本をよく読んでいるのに国語の成績がよくない子どもがいるのはなぜなのでしょうか。
 たとえば、シリーズものばかり読むなど、読書傾向が偏っていると、それ以外の文章はしっかり読みこめないことがあります。
 また、精読できてない場合も読解力は高まりません。
 受験の読解問題ともなると細かいところが問われます。
 読解問題に出題される文章は、人情の機微や細かい場面設定などが描かれており、そういうところが問われます。
 読解力を育てるためには、できれば名作を中心に、人の心の動きに向かわせてくれるような作品を読んでほしい。
 音読は文章の内容を読み取る練習にもなります。
 読解力を高める方法の一つとして、ぜひ音読も取り入れてみてください。
 作品を精読できているかどうかを確認できるのが音読です。
 発音やイントネーションによって、どこが理解できていないかが、すぐにわかります。
 正しく読む習慣づけが精読できるカギだといえましょう。
 大切なことは、書かれている文字の意味を一つ一つ理解し、正確に読めているかということです。
 書き手の主張にのみこまれてしまうと、客観的な視点が持てず、正確な読解がしにくくなってしまいます。
 適度な距離感(自分なりの考えや視点)を持てるかどうかが、読解力を高めるカギとなります。
(中島克治:1962年生まれ、麻布中学校・高等学校国語科教師。膨大な読書体験と本に対する深い造詣を持って、人間性を育て、深めるための読書の重要性を提唱し、読書への関心を高める指導を実践している)

 

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国語科:よい発問を作るにはどうすればよいか   熊谷直樹

 よい発問を作るにはどうすればよいか熊谷直樹はつぎのように述べています。
 国語の授業が苦手な私は、教科書の物語をいくら分析しても授業のイメージはつかめなかった。
 毎日、時間に追われる生活で、明日の授業の準備をする時間も十分に取れない現実がある。それでも、よい授業がしたい。
 発問づくりについて、学んでいくとつぎのようなことが述べられている。
「発問は、教材解釈の後の作業である。教材解釈をすれば、自然に発問が出てくるものでもない」
「教師は、有名教材の発問をいくつも知っておくべきだ」
「授業をするときは、自分の考えた発問と比較してみるとよい」
「すると、今までの授業とは違った展開が見られるはずである」
「力のない教師は追試をして記録を取るとよい」
「発問づくりのトレーニングとして、百回音読すること」
「すべての言葉を辞書で調べること」
「見開きで百問の発問と答えを作ること」
「考えぬかなければ、知的な授業はできない」
「活動でごまかすな、授業は思考によって作られる」
 力のない私には、なかなか発問を作ることはできないが、トレーニングすることで、追試をするときにも新しい見方や考え方ができるようになるだろうと考えている。
(熊谷直樹:岡山県公立小学校教頭)

 

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保護者との対応で教師が燃え尽きないためには、どのようにすればよいか

 教師が燃え尽きないためには、日ごろから教師と保護者との信頼関係の形成を図ることが重要なポイントになります。信頼関係とは「この人なら自分の思いや悩みを話しても大丈夫」という関係である。そのためには保護者の関心に寄り添って誠実に傾聴することが何より大切となる。さらに
1 保護者への連絡はていねいに、こまめにする。
2 問題があったとき
 (1)
初期対応が肝心である。迅速かつ誠意ある対応をする。
 (2)
すばやく事実確認をして、説明責任を果たす。
 (3)
問題が広がりを見せる場合には複数の教師で対応する。
 (4)
問題が深刻な場合は、電話や連絡帳は避け、直接会う。
 (5)
具体的な対応策を示さず「様子をみましょう」と言うことはやめる。
3 子どもを育てるために、教師と保護者が「協力し合うパートナーとしての関係」を築く。
4 教師と保護者との「目標を一致させる」ように努める
  
子どもの問題をめぐって、教師と保護者との目標が一致しないと混乱をまねくことがよくある。保護者の訴えを「何が問題なのか」を明確にする。訴えの根底にあるものが、子どもの課題なのか、それとも保護者自身の課題なのかを見きわめる。保護者に病理性の疑いがある場合には、教師が「保護者と関わる距離を定める」ことが、教師の燃え尽きを防ぐうえで重要となる。
5 保護者の訴えの「背後にある思いや願い」に気づく
 常識を超えた要求や攻撃的な訴えの根底に、保護者自身の不安や悲しみが潜んでいることも少なくない。表面的な言葉だけでなく、言葉の背後にあるものに思いを向ける必要がある。保護者の訴えが理解できず消耗感や無意味感が教師に増幅されると燃え尽きることがよくあるので、理解をどう深めるかが重要である。
 教師としての役割から離れ、一人の人間として自己開示して語ることで保護者の気持ちを引き出すことができることもある。
6 教師自身の自己理解を深める
 燃え尽きやすい性格として、
(1)
手を抜けない、責任感が強い、一人でがんばる
(2)
理想に燃え「こうでなくては」という「べき思考」に駆り立てられる
(3)
他者の期待に応えようとするあまり、必要な自己主張を我慢してしまう
(4)
妥協することが苦手
 
ということがあげられる。
 自分が縛られている固定的な見方を点検し、視点を少しずらすことで気持ちが楽になったり周りが見えるようになると、燃え尽き防止につながる。
7 組織的に対応する
 解決できないように見える問題を解決するには、教師集団の知恵を集めることが必要になる。学校で対応できる範囲を超えた問題は、関係機関との連携を検討する。
 カウンセリング的な受容・共感の対応と現実原則に基づく指導的・法律的による対応のバランスをとることが求められる。
 難しい問題には、キーパーソンを明確にし、一人で抱かえ込まずに役割分担して組織として対応していくことが燃え尽き防止の観点からも重要である。 
(
古川 治:1948年生まれ、大阪府公立小学校教師・指導主事・校長、東大阪大学教授を経て、甲南大学特任教授
)



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伸びる教師になるためにどうすればよいか   松崎 力

 伸びる教師になるためにどうすればよいか松崎 力はつぎのように述べています。
「さすがにすごい!」と思わせる教師は、何もしないでそうなったのではありません。努力を重ねてきたのです。
 伸びる教師の条件は
(1)全員の子どもを何とかしようと考えている。
 見栄やほめられたいからするのではなく、本当に子どもたちをなんとかしたいという、あたたかさから出ているのです。
 そのために、まず教室の子どもたちの実態を正確に理解することからすべてが始まります。
 実態をつかむと、問題点が見えてきます。それに優先順位をつけて解決をしていきます。
 解決するためには、問題点を身近な信頼できる教師に教わります。
 あるいは、本を読んだり、研究会に参加します。
 そのようにして、子どもへの接し方や授業の原理原則などを学んでいきます。
(2)仕事の責任を回避しない、謙虚である。
 子どもが言うことを聞かない、騒ぐといった原因を、親や前の担任が悪いなどと考えず、できない原因を自分のこととして考えます。
 いさぎよさ、責任感、謙虚さを持っています。
(3)素直な人である。
 素直な人には、他人がいろいろと言ってくれます。他人が経験したことを語ってくれます。いつの間にか成長します。
(4)知的で本をよく読む人である。
 教師の仕事で伸びていこうとする人は、教育雑誌や教育書の単行本を月に何冊も購入して学びます。
 だめな教師は、身銭をきって専門技量を身につけることがありません。教育の情報が狭いのです。
 学ばない教師は伸びません。
 だから50歳になっても新卒程度の腕の教師がいます。
 教師の自分なりのやり方は、だいたい、よくない方法であることが多いのです。
 いかに努力しても、正しく学ばなければ何にもなりません。
(松崎 力:1961年生まれ、栃木県公立小学校教師、新採用時に教育技術法則化運動(TOSS)と出会い、教育技術の開発と教育技能の向上を研究)

 

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学級崩壊はどのようにして起きるか、その実態と解決に役立つものとは   大塚美和子

 大塚美和子は学級崩壊を経験した小学校教師5人を調査し分析した結果をつぎのように述べています。
 学級崩壊は、普通の困難なクラスを経験するよりも数倍、精神的・肉体的なしんどさがある。
 クラスの崩れはあっという間に生じる。よほどでない限り、誰にでも起こる現象である。
 多くの教師は明日はわが身と思うほど、学級崩壊は身近な問題となっている。
1 クラスが荒れていくプロセス
 学級崩壊が生じるときには、クラスの子どもがお互いに心が開けない、グループ間の足の引っ張り合いがあるといった希薄な人間関係と担任に対する不信感が前提として存在している。
 そして学級崩壊の引き金になるのは、いじめなどの問題が生じたときである。
 親の離婚・家庭崩壊・厳しい躾・過酷な受験などといった家庭の問題を抱えた、安らぎや行き場のない気持ちを持った子どもが、他の子どもたちにストレスの矛先を向け、問題行動が広がり、やがて学級崩壊へと進んでいく。
 担任が制止しようとするときに、子どもと担任との間の気持ちのズレやボタンのかけちがいが学級崩壊のきっかけになる。
 子どもたちの反発が重なり、やがて担任の力では抑えることができなくなり、問題が多発し、どんどんクラスが崩れ、学級崩壊になる。
2 担任が荒れに対処していくプロセス
 クラスに問題が生じたとき、担任がクラスの規律を守ろうと子どもたちを指導するときがきっかけになり、学級が崩壊へと向かう。
 安らぎや行き場のない気持ちを持った子どもは、担任に反抗しながらも受け止めてほしいという気持ちがある。
 反発と甘えの気持ちを担任にぶっつけてくる。
 手こずらせている子どもほど、本当は、気持ちを受けとめてくれる手ごたえのある担任を求めているのである。
 しかし、「子どもはこうでなくてはいけない」、「子どもを枠のなかにはめないといけない」といった「ねばならない」という教師特有の思いが強くでてしまうと、担任の指導に子どもはますます反発する。
 担任は、クラスを立て直すために問題を起こす子どもを受容する努力を試みるが、その際に重要なポイントになるのが、同僚の教師のサポートである。
 同僚の教師のサポートは、学級崩壊を乗り越えていけるかどうかを左右する。
 やがて、担任のエネルギーが枯渇し弱っていくと、子どもたちを受容したりコントロールすることに限界を感じるようになってしまう。
3 学級崩壊と向き合うときに受けるダメージ
 学級崩壊を経験した多くの教師がどん底の体験し自信を喪失する。
 教師失格どころか人間失格とまで思ってしまう。
 身体の異常やうつ状態など心身の崩壊へと追い込まれる。
 そして、学級崩壊の記憶が頭から離れずトラウマとなる。
4 価値観の変化
 学級崩壊の経験は、一人の教師として、人間として、自分の生き方、教育観をも見つめなおす、自分と向き合う機会となる。
 子どもの行為には思いがあり、そこの裏にある思いをつかむこと。
 逆に、子どもは、これだけわけのわからない人間にもなれるということなど、子ども観の変容が生じる。
5 担任を支えるシステムが必要
 学級崩壊を担任個人の力量の問題だけにするのではなく、担任を支える協働の働きを行うシステムが必要である。
 学級の荒れは多くの担任が直面している問題である。担任を精神的にも心理的にも、実際的にも支えるようにやっていかないと、学級崩壊はなくならないだろう。
 学級崩壊の解決に役立つものは
1 スクールソーシャルワーカーの支援を得る。
 校内の教師だけでは煮詰まってしまうことがある。スクールソーシャルワーカーなど外部の人に入ってもらうことで、新しい視点で状況を打開することができる。
 クラスの人間関係マップの作成、Q-U調査などをスクールソーシャルワーカーなどの協力を得て実施して分析する。
2 学校が組織的に取り組む。
 クラスの壁をなくして学年教師全体でかかわるようにする。
 担任、学年教師、管理職が一致団結して組織的に取り組む。
3 保護者に協力をお願いする。
 学校(担任)と保護者の信頼関係は最も重要である。
 保護者に理解を得るように努めながら協力をお願いする。例えば、
 子どもは本来、ほめてほしいと思っているものだ。
 子どもの良いところを親に書いてもらって、クラスに掲示する。
 学校行事の準備を親にも手伝ってもらう。
 親に学級を自由参観してもらって、良かったことを書いてもらう。
 教室に花を飾るなど美化に自主的に協力してくれる親をさがす。
4 保護者会を開催して親の理解と協力を得るようにする。
 保護者会を開催して親の理解と協力を得るために、スクールソーシャルワーカーに客観的な立場で参加してもらい、学校と保護者がボタンのかけちがえが生じないように仲介してもらう。例えば、つぎのような話をしてもらう。
(1) 親は問題点ばかり目を向けないで、学級が落ち着かないなかで学年の教師が遅くまで対応を協議し努力していることに注目してほしいこと。
(2) 学校の対応だけでなく、子どもたちの人間関係や、家庭で重たい生活をしている子どもが学級崩壊の背景となっていることを客観的な情報として話してもらう。
 子どもにとって家庭で居心地のよい場所である必要性を考えてもらう。
5 小さな変化にも目を向ける。
 問題点だけでなく、小さな変化にも目を向けていくと、見落としていた変化に気がつき、新たな問題解決の発見につながることがある。
6 子どもに協力をしてもらう。
 クラスの問題解決に役立ちそうな子どもをさがして協力してもらう。
7 学生などのボランティアの協力を得る
 教室に入ってもらうと、子どもたちは学生ボランティアと遊べることを楽しみにすることがある。
(大塚美和子:大阪府教育委員会スクールスーパーバイザー、神戸学院大学総合リハビリテーション学部准教授)

 

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教師は子どもたちと信頼感のある人間関係を築き自己変革を求め続ける生き方を   近藤昭一

 子どもの変容を図るには、まずもって教師は自ら子どもとの関係を、深い相互理解に支えられた互いに認め合う信頼感に満ちたものにしていく必要があります。
 教師と子どもとの間に信頼関係ができると、子どもに自信を与え、友人関係など他の人間関係に対しても有益な作用力をもたらします。
 こうした信頼感のある人間関係を教師と子どもの間に少しずつつくりあげ、積み重ねることによって、子どもは自己の尊さを再認識して、自分づくりを始める力を得ていくのです。
 まさに、この自分づくりこそ、生徒指導の目的なのです。
 しかし、教師と子どもの間の深い相互理解に支えられた信頼関係は、そう簡単に築けるものではないことはよくおわかりのことと思います。
 教師はそのためには、どうあるべきなのか。
 そのためには教師は人格の完成を求めて、常に自己変革をし続ける必要があります。
 問題行動を起こす子どもたちを内心で嫌い避け、良くない子どもと評価することは教育ではありません。
 子どもたちの問題行動が発生して学級が混乱に陥るような場面こそ、大きな教育チャンスのはずです。
 これまで教師が子どもたちと築いてきた人間関係を試され、その人間性が問われることにほかなりません。
 教師という職業は、自己の不適応を自覚できず、他人の状況が理解できず、他人の気持ちや考えを受け入れられない傾向が見られます。
 そして、自分の得意な範囲に子どもを合わせさせて、自己の有能感を感じようとする傾向が見られます。
 こうした傾向は、自分で殻をつくり、その殻を固くして閉じこもり、狭い範囲を完全と思い込んでしまう、いびつな姿といえます。
 このような姿は、教師が人格の完成を求め、常に自己変革をし続ける存在からかけ離れてしまっています。
 教師は、子どもたちの葛藤や悩みをむしろ歓迎する姿勢が必要です。それを貴重な教育機会として生かすことが重要です。
 今の時代は、関係性の希薄さ、コミュニケーションの乏しさ、客観的な自己認識が形成されにくい状況が広く見られます。
 教師は子どもたちとの関係性が子どもの人格の形成を支えていることを自覚して、日々、子どもとの関係性や社会とのかかわりにおいて、自己の人間性を鍛え、自己変革を求め続ける生き方を貫いてほしいと私は考えています。
(近藤昭一:1951年生まれ、22年間横浜市立中学校教師、同校長、教育委員会部長、横浜市教育センター所長、玉川大学客員教授を経て神奈川大学特任教授)





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学校の危機管理をどのような心構えで解決すればよいか    近藤昭一

 学校の危機管理をどのような心構えで解決すればよいか近藤昭一はつぎのように述べています。
 学校の危機が起きたとき、逃げずにリスクを覚悟する責任感がまず必要である。
 危機管理の行動の出発点は、情報の収集である。
 そこから導き出す、事実の把握(情報や事実からから見えてくる問題点)である。
 この初動の二つの段階は重要で、この段階の失敗は取り返しのつかない事態を招き、学校が社会的信頼を一気に失ってしまいます。
 この段階で、学校はいかに多くの情報を集め、迅速に事実を把握するかが、まさに勝負である。
 これを乗り切る組織行動力と校長の先を見通すセンスが明暗を分けることになります。
 事実把握によって問題点が見えてきた段階で、子どもを第一とする対応目標の設定を行います。
 重要度や緊急度を判断して優先順位を指定していきます。
 この対応目標に応じて、対応計画を立てます。
 プライバシーの管理や警察判断優先など、対応の原則を確認し、本部が具体的な行動を指令して組織行動が行われます。
 ここで重要なことは、相手の反応や状況の変化、新しい情報の取得などによって、対応目標の検証と修正が柔軟に行われなければならないことです。
 組織行動を継続して、事態の収拾、問題解決を実現するようにします。
 問題が解決したあと、なぜ、このような危機が発生したのか、その要因は何か、これまでの不備は何か、などを振り返ります。組織や対応、教育活動の見直しを行って、再発防止策を打ち立てます。
 学校の危機が発生したとき適切な本部判断が成り立てば、
「当該の子どもや家族へのケアや対応」
「他の関係する子どもや保護者への対応」
「教育委員会への報告や相談」
「マスコミへの対応」
「関係機関や地域社会との連携・協働」
 など、必要な対応は円滑に進行していきます。
 こうした場面で校長に求められることは、
「適材適所の職員配置」
「問題の核心を見ぬく力量」
「学校が負うべき責任は自ら進んで負うという覚悟」
「当該の子どもをはじめ、すべての関係者に対する誠実な対応姿勢」
 です。
 ことなかれ主義で逃げることは社会的な信頼失墜に直結するものであり、なによりも誠実な対応が求められます。
 どのような危機場面であっても、子どものために最善を尽くし、子どもの幸福につながる行動をとり続ける。
「子どもを第一とする判断」に学校の存在意義がある。
 このことを信念とすることができている教師の人間性が、多くの人々の理解と問題解決を獲得する切り札になるのではないでしょうか。
(近藤昭一:1951年生まれ、22年間横浜市立中学校教師、同校長、教育委員会部長、横浜市教育センター所長、玉川大学客員教授を経て神奈川大学特任教授)

 

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読書指導で子どもは変わる   杉本直美

 今までの読書指導の多くは国語科の教材の読み、特に文学作品の読みに偏重し、自立した読み手をいかに育てるかという視点に欠けていた。
 読解指導のあと、主人公の気持ちを考えたり、主題を考えたりすれば読書指導であるという授業がいまだに見受けられる。
 読解力が向上すれば、読書行為に転移するものではない。
 何のために読むのか、それが自己形成にどのようにかかわるのか、そのことを子どもたち自身が実感しない限り、主体的に読むという行為は生まれない。
 そこで重要になるのが読書生活である。
 読書生活というのは、本や新聞、雑誌などを始めとした実生活における多様な媒体から情報を得て、必要に応じて選択し、組み替え、創り出し、将来へとつなげていく日々の生活である。
 読書という行為や読書生活そのものを取り上げて教材化し、子どもたちと共に考え、創り出していく。
 そうすることでこれまでとは違う読書指導の姿が見えてくるだろう。
 例えば、国語の授業のとき、教科書の物語を読み合うことの面白さは、互いの考えの交流による新たな発見や考えの交流にある。
 読書指導で、「クライマックスはどこか」という明確な課題意識をもって物語を読む。
 その上で、今までの読書生活の中で読んだ本の中から一冊を選び、クライマックスを中心に作品を紹介し合う。
 過去に読んだ作品を、授業で取り上げた作品と比較しながら紹介するという学習は、過去に読んだ本を再読することになる。
 目的をもって読むという活動が展開される。
 自分の読書生活の現状を意識させるとともに、今後の読書生活の広がりへの期待を込めての学習活動でもある。
 家で読書をしなかった中学生の子どもが読書指導をきっかけに、変化した感想を次のように述べています。
「読書をしてから、やっぱり生活は変わってきたと思います」
「テレビを見る時間は本を読む時間にかわりました」
「本屋に行っても新刊はチェクするようになりました」
「好きな作家も見つけ、本を読む時間と考える時間が増えたと思います」
「何か細かいことに目がいくようになりました」
「前はボーッと眺めていただけのものを『なんで?』『どうして?』と考えるようになりました」
「なぜかは分かりませんが、本を読み始めてから私の生活は変わりました」
 子どもたちは自ら自立した読み手として、自信をもって、これからの社会を力強く生きていくことができだろう。
(杉本直美:1966年生まれ、川崎市立中学校教師を経て、国立教育政策研究所 学力調査官・教育課程調査官)

 

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首の骨を折る転倒事故を体験した教師が、命と感謝の学びで、生きているだけでも幸せであることを心から感じるようになった   腰塚勇人

 腰塚勇人は中学校の体育教師になり、学級担任、バスケット部顧問として「熱血指導」の日々を送っていた。
 しかし、スキーで転倒し、首の骨を折り、奇跡的に命は取り止めたものの、首から下がまったく動かなくなった。
 当時、医師からは「一生、寝たきりか、よくて車イス」の宣告を受けた。
 あまりの絶望に「自殺未遂」をした。
 その後、妻、両親、主治医、看護師、生徒たち、職場の同僚などの応援と励ましを受け、「自分の命があらゆるものに助けられ、生かされていること」に気づき、
「笑顔」と「感謝」と「周りの人々の幸せを願う」ことにより、奇跡的な回復力を発揮する。
 そして、「下半身と右半身の麻痺」など、身体に障がいを残しながらも、4ヵ月で現場に復帰し、中学3年生の担任を務めた。
 主治医からは、
「首の骨を折って、ここまで回復した人は、治療した中では、腰塚さんだけだ」
 と言われるほどの「奇跡の復活」を遂げた。
 その体験を「命の授業」として6分ほどの動画にして公開したところ、30万人を超える人々の目にふれることとなる。
「命の授業」の活動に専念するため、22年間務めた教員を辞職し、講演家として、自らの経験を元に、命の尊さ、生きていることの素晴らしさを、全国の小・中・高校、そして一般の方々に伝える活動をしている。
 首の骨を折る転倒事故で体験した命と感謝の学びについて腰塚勇人はつぎのように述べています。
 私はかつてスキーでひどい転倒事故を起こして首の骨を折ってしまい、医師から「一生、寝たきりか、よくて車いす」の宣告を受けました。
 首から下がまったく動かない状態に陥りました。
 手術を受けたあとも指一本動かせなくなっていると気づいたとき、本当に「これで私の人生は終わった」と思いました。
 手足が動かなくなると、それまであたりまえだと思っていたことをするたびに、頭を下げ、人の手を借り、お世話にならなければならないのです。
 私はそれまで人に頼るのは弱い人間と考えて生きてきました。
 でも、自分では何もできないのに、人に頼る気持ちにもなれないジレンマで心がぐちゃぐちゃになり、自殺こそ思いとどまったものの、やりきれない気持ちで眠れない夜を過ごしていました。
 そのとき、担当の看護師さんは、私の顔を見て私の考えていることを察し、つぎのようなことを言ってくれました。
「私には腰塚さんの気持ちは、本当はわかってあげられないけど、本当によくなってもらいたいと思っているの」
「だから、お願いだから私に何かさせてください。少しでも力になりたいんです」
 そう話しながら、眼からは涙がこぼれていました。
 俺の気持ちをそのまま受け止めて、わかろうとしてくれた。
 この苦しい気持ちに寄り添おうとしてくれていると思えて、泣いても、泣いても涙があふれ、私は一晩中泣きました。
 やがてリハビリが始まりました。リハビリの先生が
「腰塚さん、今なにを考えていますか?」
 と言ったので、不思議に思って
「どうしてそんなことを聞くんですか?」と尋ねたら、
「だって、腰塚さんのことが本当にわからなかったら、リハビリのメニューが腰塚さんにとって一番いいのかどうか、わからないですからね」
「腰塚さんにホンネを言ってもらえるかどうかは、僕が腰塚さんに信頼してもらえているかどうかにかかっていますよね」
「だから僕は腰塚さんの話を最後まで聴くことを約束します」
 と話してくれました。
 さらに、一歩進んで、退院後の夢を考えるように勧めてくれました。
 自分の想いを素直に言える優れた先生がいる大切さと安心感で、私はこの先生をすぐに信頼することができました。
 リハビリによって、足の指がほんの少し動いたのを皮切りに、少しずつですが動かせる範囲が広がりました。
 三週間すぎると首で頭の重さを支えられるようになり、車いすに乗ることをゆるされました。
 やがて、医師など多くの支援を受け奇跡的に回復し、下半身と右半身の麻痺など障がいを残しながらも、現場に復帰し担任を務めることができるようになりました。
 スキーで首の骨を折って、一度は身体がまったく動かない状態になったことで、手が使えることのありがたさ、歩けることのありがたさを痛感しました。
 そして、生きていること自体それだけで、ものすごく幸せであることを心から感じたのです。
 また、私の命を助け、人生を励まし支えてくれた人たちの温かさや優しさ、真剣に治療しようとしてくれた人たちの情熱と本気の姿に対して、心から感謝の念が湧いてきたのです。
 そう気づいたとき、私自身の心の持ち方がかわりました。
 心から「ありがとう」と言え、笑顔が出るようになると、周りの人たちの私に対する接し方も変化したように思います。
 知らないうちに、応援者も増えていきました。
 笑顔で「ありがとう」と言うことは、誰もが幸せになれる魔法の言葉だと私は思っています。
(腰塚勇人:1965年生まれ、元中学校体育教師。スキーで転倒し首の骨を折り、首から下が動かなくなる。その後、障がいを残しながらも、現場に復帰し担任を務める。その体験の動画(命の授業)を公開すると30万人が視聴した。「命の授業」の講演活動に専念するため、22年間務めた教職を辞職した)

 

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先生という仕事は力を付ければ付けるほど楽しくなる   俵原正仁

 私の新任教員1年目は、センスで生きていました。
 自分では、授業も学級経営もなんとなくうまくいっていると思っていたんですね。
 けれども先輩から見たら、かなり危なっかしかったのでしょう。
 あるとき先輩の先生から、向山洋一先生の「授業の腕を上げる法則」を貸してもらいました。「これ、読んでみるといいよ」といって。
 読んでみると「ああっ!」という衝撃が走りました。
 それまでは、読むものと言えば「週刊プロレス」くらいだった私ですが、以後は、向山先生、有田和正先生の本を読むようになりました。
 読み出すと、それらの本が非常に面白いのです。
 兵庫県は、3年後に異動希望が出せます。出したら幸運にも芦屋市に帰ってくることができました。
 新任時代の佐用郡の小学校とは親の雰囲気が違うということはあったものの、大きな違いはあまり感じません。
 それよりも、学んだことがどんどん使えるうれしさがありました。
 ただ、それまで学んでいた佐用郡のサークルには参加できなくなってしまいました。
 そこで、同じ学校の先生たちと新たにサークルを作りました。さらに、サークル以外からも学ぶようになりました。
 そうした充実した教師生活を送っているとき、阪神淡路大震災が起こりました。1995年のことです。
 学校現場は大変なことになりました。もちろんサークル活動どころではありません。
 勉強会が再開できたのは、震災後2~3年後くらいのことだったと思います。
 幸いにして、教師を辞めたいと思ったことはありません。
 しかし壁を感じたことはあります。
 それは40歳前後の頃。私は、全国各地から参観者が来られる朝日ヶ丘小に勤務していました。公開授業には、1000人以上の先生が集まるような学校です。
 このときの私は、子供たちをぐいぐい引っ張っていくタイプの授業に憧れて、実際かなりできるようになってきていました。
 担任した6年生が中学校に入学してから遊びに来て「先生、中学校つまらん。先生の授業がいい」などと言って来ます。
 それを聞いて、私は、正直誇らしい気持ちになっていました。
 けれどもあるとき、隣のごく一般的な先生が受け持った子供たちの方が、中学に入ってから伸びていることに気づきました。
 これを見て私は、「小学校6年が人生のピーク」みたいな子を育てていたのではないか、という疑問が湧いてきたのです。
 決して無理強いをしていたつもりはありません。
 しかし、私が受け持ったことの反動を起こさせているのは間違いないようでした。
 これではいかんのやな、と思いはしたものの、どうすればいいかというのは、簡単には思いつきません。
 そこで、それまで以上に授業の楽しさを考えるようになりました。
 同時に、子供たち同士をつなげるようなクラス作りを志向するようにもなりました。
「勉強」をしていると、同じ学校の先生が頼りなく見えることがあるはず。
 しかしそれは間違いです。あなたが気づいていないだけで、すごい実践をしている人は学校に必ずいます。
 何しろ同じ学校の先生なら、見ている子供は同じだし地域も同じです。
 だから同僚の意見は、非常に参考になるはず。
 自分の実践を見てもらえるメリットもあります。
 つまり、自分の学校ほど優れた勉強の環境はないのです。
 そしてお勧めの勉強法は、まず自分の授業のイメージを作ること。
 たとえば「指名無し討論の授業がしたい」と思ったら、その授業を実際に見てイメージするのです。
 縄跳びの指導でも、上手に跳んでいる様子を実際に、あるいは映像を見せたらできるようになるでしょう。
 それと同じです。私と同じ学年を組んだ若い先生も、私のクラスを実際に見て、指名無し討論の授業をやっていました。
 公開授業の見学も同じです。
 同じ学校の若い先生と、立命館小学校岩下修先生の授業を見学しにいったとき、横ですべて解説してあげたことがあります。
 これは非常に効果的でした。
 その先生の音読指導が大きく変わり、自分の学校で公開授業をしたとき、音読は参加者から絶賛されていました。
 同じ学校の先生とすぐれた授業を実際に見ることと、それを解説してもらうことが大事。
 同じ土俵で語れるのですから。
 繰り返しますが、最良の勉強法は、同じ学校の先生と学ぶことです。
 先生という仕事は力を付ければ付けるほど楽しくなる仕事です。私自身、年々楽しくなっていますから。
 若いときは力量が無いから子供が動かないし、反発を食らったりします。
 しかし力が上がれば、子供はみんな喜ぶし、保護者は信頼を寄せてくれるようになります。
 さらに、学校で最もしんどいクラスを受け持てば、学校内でも無敵の状態になることでしょう。
 自由裁量の幅が広がり、自分のやりたことができる状況になるはずです。
 勉強を頑張りましょう。
 いま悩んでいたとしても、勉強を頑張ったらきっと楽しくなります。
 あと少し頑張れるかどうかは、あなたにしか分かりません。
 ただ、確実に言えることは、頑張れば必ず報われるということです。
(俵原正仁:兵庫県公立小学校教師、教材・授業開発研究所「笑育部」代表、兵庫県公立小学校校長)

 

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教師の熱意や想いを子どもに伝え、子どものやる気を引き出すには、どのようにすればよいか   大矢 純

 教師の熱意や想いを子どもに伝え、子どものやる気を引き出すには、どのようにすればよいか大矢 純はつぎのように述べています。
 教師がどんなにいい授業を行ったとしても、子どもたちが寝ていたり、おしゃべりしていれば、伝わりません。
 子どもたちがそれを受け取るような準備を教師がしていなければいけません。
 そうした準備をどのようにすればよいのでしょうか。
 基本は簡単です。
 一つの指示を出して、全員が指示どおりに行動するまで根気強く繰り返し徹底し、習慣化させます。
 体育の授業を考えてください。「集合」と言えば、皆が集まります。
 そして最も上位にくるのが、教師の熱意や想いをフルに活用して
「子どもへの教師のやる気を表現」
 することです。
 そのためには、自分に一番合った表現力を磨きましょう。
 それに磨きをかけて、自分の売りで勝負するのがプロです。
 自分が得意なことを前面に出しているときは、自分が楽しいはずです。
 自分が楽しくなければ、子どもたちも楽しくありません。
 そこが最も大切な点です。
 自分は今、楽しんでいるか。
 楽しくなるためにはどうしたらいいのか。
 そのうえで、この子どもたちの20年後、30年後のために何を伝えたいのかを常に考えて授業にあたっていきたいものです。
 特に新任の教師などは、まだ経験も知識もないのですから、熱意で戦えなかったら、勝てません。
 何のために、自分の熱意を伝えるのか。
 それは、子どもたちのやる気を最大限に引き出すためです。
 授業学を身につけるためには、まずは、実際にやってみることです。
 また、他の教師がやっているときに、座席にすわって、子どもたちの目線でそれを見て、感じてみることも大切です。
 できるだけ、子どもたちになりきって観察することで、いかにコミュニケーションというものが難しいものなのか知ることが重要なのです。
 自分ではうまく伝えたと思っても、実際には子どもたちには伝わっていないものです。
 教師という職業は「話す仕事」だと言ってよいにもかかわらず、効果的なトレーニングがほとんど行われていないのが現状です。
 発声練習は、「あいうえおあ」「いうえおあい」と、一文字ずつずらしながら、大きな声で発声する方法が効果的です。
 ポイントは、「あ」ならば「あ」の口の形をして発声することです。これで聞き取りやすい、滑舌のいい話し方ができます。
 それで遠くへ飛ばすように声を出します。
 自信なさげな話し方は厳禁です。
 自信ありげに聞こえるようにしなければいけません。
 教室に入ってすぐに、自ら大きな声で挨拶をします。
 教室の雰囲気をリードするのは、教師自身なのです。
 自分が授業をしている姿を録画して、観ると気づきますが、かなり極端にやらないと想いは届かないということがわかります。
 ふだんの三倍は大げさにしないと伝わらないと実感できます。
(大矢 純:1966年生まれ、授業学研究所所長。数学の授業や教員育成などの経験をもとに、授業学の確立と普及を行っている。各地の学校で研修や講演、コンサルティングを行っている)

 

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授業で大切な表現力を教師はどのようにして身につければよいか   大矢 純

 授業で大切な表現力を教師はどのようにして身につければよいか大矢 純はつぎのように述べています。
 教師の表現力は非常に大切です。
 なぜなら、授業で伝える内容が申し分なくても、表現力が乏しいと、伝わらないからです。
 必要なことを効果的に印象付ける力が表現力です。
 授業者である教師の見え方、聞こえ方すべてが表現力を構成する要素です。
 教師が嫌いだから勉強したくないということもあるでしょう。
 授業における教師の表現がへただからわからなくなってその教科が嫌いになるということもあります。
 研修ではお辞儀と挨拶を徹底的にスマートに行います。
 そして発声練習。
 明るくはっきり、大きな声が基本です。
 教師の熱意や頑張りを子どもたちに伝えるためのものです。
 教師は、子どもたちの心を揺さぶり、動かしていかなければいけません。
 そのためのエネルギーを常に発散させなければならないのです。
 表情の練習も加えていきます。
 教師が一生懸命頑張っているという表情です。
 そして、教師自らが楽しんでいる表情です。
 苦しそうではダメです。つまなさそうでもダメです。
 教師が楽しんでいなければ、子どもたちも楽しめません。
 頑張っていることが楽しいという姿勢です。
 ただし、メリハリは大切ですから、真顔の練習もします。
 そうした表情のメリハリだけでも、子どもたちが「あ、まずいな」と、コントロールすることができるようになります。
 大事なのは目の動きです。
 教室では、せかせかせず、いかもまんべんなく見ていくことが重要です。
 しかも、目だけで追ってはいけません。
 体ごと、一人ひとりの子どもと正対するようにします。肩から向かなければダメです。
 かなりゆっくりとしたスピードでないと、伝わりません。
 子ども役をやってみると、見ているつもりでも、見ていないことが多いということがわかります。
 それがわかって初めて、自分の行動が改善できるようになるのです。
 早口が悪いのは、聞き取れないほかに、間がないからなのです。
 間が重要です。子どもが受け取って頭に定着させるための間です。
 教師は「一生懸命に教えたのだから、伝わったはず」という錯覚を起こしやすい。
 教えたことが伝わっていないとしたら「私の伝え方が悪い」と理解してほしい。
 今の時代は、授業研究や教材研究だけでは準備は整わないのです。
 その内容をどうやって効果的に子どもたちに伝えるかということのほうが大切なのです。
 人から発せられる情報の伝達力は、話の内容よりも、声の表情、身振りや顔の表情など見え方にあると言われています。
 自分に似合わないテクニックに走ってもうまくいきません。
 苦手なことを底上げすることも大切ですが、むしろ、得意なことでどう勝負するかが大事だと私は思っています。
 いいものがあるのであれば、それを売って商売にするのがプロです。
 だから、自分の売りは何なのか、それに磨きをかける必要があるのです。
 性格も含めて、自分をどう使って表現するかなのです。
 もし、自分が子どもたちに好かれていないと感じたら、
「表現力を磨き」「自分をうまく印象付けられる」
 ようにすれば、子どもたちとの関係はプラスになります。
 やぼでも子どもたちが「自分たちのために考えて、やってくれている」と気づいてくれれば、子どもたちも変わるはずです。
(大矢 純:1966年生まれ、授業学研究所所長。数学の授業や教員育成などの経験をもとに、授業学の確立と普及を行っている。各地の学校で研修や講演、コンサルティングを行っている)

 

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教室のムードを教師がコントロールするにはどうすればよいか  大矢 純

 教室のムードを教師がコントロールするにはどうすればよいか、大矢 純はつぎのように述べています。
 教師が明るい顔で教室に入り、大きな声であいさつをします。
 演劇とある意味では同じなのです。
 その日の第一印象が勝負です。
 教室に入って、最初の五分間が勝負を決めると言っても過言ではありません。
 大事なのはその時点から、子どもたちの視線を自分に集めること。
 指示は短く単純であること。メリハリをつけることなどが重要になるのです。
 子どもを成長させている教師の授業は、子どもたちの興味を引く方法を多用しています。
 例えば、
「今日、こんなことがあってね。これってちょっとおもしろいよね」
「でね、実はこの話は、今日お話しするテーマと関係があるんだ」
 など、子どもたちが関心を抱いて、自然と全員のベクトルが合うような導入(まくら話)をしたりします。
 授業がおもしろくなり、子どもたちが「自分は成長している」という実感を持つことができれば、授業中の私語が減り、集中した授業ができます。
 塾や予備校では、授業に魅力がなければ生徒が辞めてしまうかもしれません。
 だから、少しでも早く子どもにやる気を出させる授業を行えるようにならなければいけ ないのです。
 いやおうなく、講師は自分の授業力を磨いていきます。
 そのためには形から入ることもいといません。
 だから、しゃべり方や挨拶の仕方、しっかりと前を向いてしゃべるといった型を昔から重視していたのです。
 講師はそれに慣れていくうちに、後から魂を入れていってもいいわけです。
 例えば、小学生であれば、
「では、鉛筆を置いてごらん。手は膝の上に置いて」
「はい、こっちを向いてごらん。うん、いい顔だ」
 というふうにしていくと、必然的にみんなが話を聞く姿勢になるわけです。
 段取りです。
 ここで重要なのが単指示の繰り返しです。
 単指示の基本は、一つの指示をして全員に徹底してから次の指示をする。
 指示は明確で簡単なものでなければいけません。
 それを丁寧に根気強く繰り返して、習慣化していくとことが目的です。
 子どもたちの集中力も増します。
 あるいは、子どもに話しかけるときに、話す文章の句読点で子どもを見ることで、対話ができるようになります。例えば、
「いよいよ、来週は、遠足ですね」
 と、文章の途中で溜めをつくりながら、子どもたちの顔を見回す。
 そうすれば、子どもたちは声に出さずとも、その間に子どもは心で返事ができるのです。
 コミュニケーションが取れるわけです。
 それを、
「いよいよ来週は遠足ですね」と切らずに早口でしゃべると、単なる独り言にすぎません。
 教室に一体感が醸成されることはありません。
(大矢 純:1966年生まれ、授業学研究所所長。数学の授業や教員育成などの経験をもとに、授業学の確立と普及を行っている。各地の学校で研修や講演、コンサルティングを行っている)

 

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いじめ解決を子どもの学びにするにはどのようにすればよいか   宮下 聡

 いじめ解決を子どもの学びにするにはどのようにすればよいか、実践をもとに宮下 聡はつぎのように述べています。
 発展途上の子どもが共同生活を送る学校は、対人トラブルが起きるのは自然なことで、だれかが苦痛を感じるようなことが生じる。
 それはむしろ対人関係を学ぶ生きた学習教材でもあります。
 だから、いじめは当然起きるものと考え、それを解決する体験を通して人とかかわる力を子どもたちが獲得する学習の機会ととらえることが必要だと思うのです。
 いじめを深刻ないじめに深化させないよう、子どもを主体者としていじめと向き合い、解決する活動を通して子どもたちに学びを体験させるようにします。
 いじめが発覚したとき、被害者の苦痛を軽くすることが急務です。
 まず、なすべきことは、いじめの標的になって子どもをクラスの中で孤立させないような支援体制をつくることです。
 いじめを止めなくてもいい。支えたり、いじめの状況を担任に訴えたりできる仲間を被害者と話し合って数名つくります。
 被害者は共感し支援する仲間がいることを実感して表情は少しずつ明るくなっていきます。
「やめろと注意できなくてもいい。同調しないことが大切。そして苦しんでいる人を精神的に支えて」
 私はそう子どもたちに呼びかけました。
 次に、多くの子どもが感じている「いじめノー」の思いを解決の力にしようと考えました。
 これまでクラスで起きていたことをどう感じているか、クラスがどうなっていくことを願っているのか、みんなの意見を書いて全員で読み合うことにしました。
 個人が特定できないようにしました。
 安心して本音が言えるようにするための配慮です。
 そして読み終わったあと、さらに賛同や反対の意見を書き、読み合いました。
 意見集は、クラスのみんなの意識を傍観者でなく当事者に変え、解決に向かう流れをつくります。
 さらに家庭でも読んでもらい、保護者からの意見も求め、それを掲載しました。
 保護者の意見は、子どもたちにとって、大人たちがいまクラスで起きていることをどう見ているかを知るいい機会になりました。
 保護者も一緒に考えていくことがいま必要になっていると思います。
 みんなの意見は、解決に向けた明るい希望があふれていました。
 明るいクラスにするためには目に見える行動を起こして思いを形にすることが必要です。
 行事はその希望に向けて舵を切るチャンスとなります。
 クラスの雰囲気を変え、前に進ませる挑戦となります。
 いじめと向き合う実践は、トラブル解決の活動を子どもたちと共にすすめることを通して、思いやりと活力のある学級をめざす攻めの実践なのです。
(宮下 聡:都留文科大学教職支援センター特任教授、元公立中学校教師)

 

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教師と親がつながり共に育つにはどうすればよいか   宮下 聡

 教師と親がつながり共に育つにはどうすればよいか宮下 聡はつぎのように述べています。
 教師生活を続けていると、どんな教育実践も親とのかかわりを抜きに考えることはできない。
 若い教師は「子どもだけでも大変なのに、さらに親の相手なんて」と考えている人は意外と多い。
 実際、教育現場で起きる子どもの問題は、家庭と切り離して考えることはできない。
 そこには学校外での子どもの生活が大きな要因として横たわっているからである。
 まず、大切なことは、教師が学校側の目線ではなく、ときには親の立場から実践をとらえ直してみることである。
 思いがけない解決策に気づくことがあるからだ。
 目線を変えてものごとをとらえ直す姿勢が求められているのは教師なのである。
 教師の思いをわかってくれない親が、実は親の思いをわかってくれない教師と感じていたと気づくことだってあるかもしれない。
 教師がおちいりがちな失敗として、あれやこれやと指示を出しすぎてしまうという問題がある。
 子育ての主体は親である。
 その子の発達上の課題を教師が把握していても、どうするかという問題の解決の主体は子どもであり親である。
 教師が決定権を横取りして指示を出してしまっていることはないだろうか。
 子どもの問題は子どもに返し、家庭の問題は家庭に返しながら知恵と力をともに出しあって解決の道を探っていくという「共同」のスタンスが教師に求められている。
 例えば、つぎの実践は私が親と一緒に考えだしたものだ。
 親と話しあって毎月開いた「学級懇談会」。
 学級懇談会では、子育てにかかわる親の思い疑問・不安がいくつも出され、それが若い担任であった私にとっては、大きな学びとなった。
 子育ての思いを親どうしが語りあった「親の回覧ノート」。
 子どもが家で班ノートを書いているのを見た親が「親もやりたい」と言って「親の回覧ノート」は始まった。
 受け渡し役の子どもは、親どうしの「会話」を読むことによって親の愛を感じることができた。
 土曜日を利用して親子で開いた「料理の鉄人大会」
 取り組みを通して教師としての視野を広げ成長させてくれた貴重な体験だった。
 どれも、クラスが指導困難な状況だったときに企画され取り組まれたものばかりだ。
(宮下 聡:都留文科大学教職支援センター特任教授、元公立中学校教師)

 

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子どもたちが授業に飽きていることに気づけますか、どうすれば授業のマンネリを防げるか

 ワンパターンの授業が続き、授業がマンネリ化すると、子どもたちは授業に集中できなくなり、違うことに面白さを求めるようになる。
 時には、それが問題行動であったり、他者へのいじめであったりもする。
 あなたは、子どもたちが授業に飽きていることに気づけますか。
 授業をしながら、常に子どもを観察し、子どもの表情や動作などから、授業を子どもたちがどう感じているかを読むことができますか。
 授業がワンパターンになっていると、子どもたちはストレスをためる。
 常に「教え込み一辺倒」や常に「子どもの考え主体の授業」だと、嫌気がさしたり、手遊びを始めたりする。
 また「教え込み」と「練習」を繰り返す授業では、子どもは飽きてくる。
 子どもたちが授業に集中できずに、落書きを始めたり、足を動かしたり、勝手におしゃべりを始めたりする状況になると、もう子どもたちはあき始めていることになる。
 これを無視して教師本位の授業をしていくと、子どもたちは教師の話を聞かなくなり、学級崩壊のきっかけとなる可能性がある。
 常に子どもは変化のある授業を望んでいる。
 ある時は「教え込みの授業」と「練習」、またある時は「子どもの考え主体の授業」というように、さまざまに組み合わさっている授業だと、子どもは授業に引き込まれ興味を示す。
 このことがわかっていないと「私は子どもたちの考えを生かして授業をしているのに・・・・・」と言いながら、だんだん学級が荒れてくることがある。
 それは、子どもがマンネリを嫌っていることに気づいていない教師だからだ。
 だからこそ、子どもの動きに気を配れる教師である必要がある。そのためには、
(1)子どもの視線を読めること
(2)子どもの手の動きを読めること
(3)子どもが今、何をするべきかをわかっているかを読めること
 学級全員の考えを集結して「できた!」と実感できる授業。
 友だちの考えを聞いて「わかった」と言える授業。
 「できた!」という喜びを学級で実感できる授業をときおり行うようにする。
 この学びが成立する学級の子どもたちは、学習することが好きで、考えることが好きになる。
 子どもたち一人ひとりのよさを引き出し、よさを語ってあげることも大切だ。
 学級の子どもの反応のよかった授業はどんな授業であったかを分析する。
 子どもたち一人ひとりを逃がさずに、しっかりと「ねらい」にもっていく手だてを常に考える教師でありたい。
 授業のマンネリを防ぐ努力は、教師が子どもたちから信頼されるために必須のことである。
「子どもってすばらしい、面白い!」と思わない教師は、授業のマンネリ化の危険がある。
(成瀬 仁:新潟県公立小学校教師。国立大学教育学部非常勤講師、オーストラリア公立小学校での勤務経験がある。また、幼稚園の経験もあり、多彩な教職経験を生かし、子どもと環境、教師の雰囲気を考えている)

 

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「聞いてまとめる力」を鍛えていかないと子どもの学力は伸びない    成瀬 仁

 「聞いてまとめる力」を鍛えていかないと学力は伸びないと成瀬 仁はつぎのように述べています。
 聞くことは大切です。
 しかし、静かに聞いているのに質問すると答えられない子どもがいる。
 人の話を聞き取って、相手の言いたいことを感知できないのである。
 この「聞いてまとめる力」は学力の基本で、これを鍛えていかないと、学力は伸びない。
 鍛えるためには、子どもに語り、子どもに質問して聞くことが重要なのだ。
 例えば、学校では月に一度くらい全校朝会で校長講和がある。私は講和が終わった後、「今日の校長先生の話で、3つ大事なことは何でしょう?」「校長先生が、みんなに言いたかったことは何でしょう?」と子どもたちに聞く。
 さらに、毎日の朝の会で私が話した後、「さて、先生は、どんなことを話したのでしょう?」と聞くことを私はときどきやる。
 私は国語の「話すこと、聞くこと」に関する授業の終わりの5分間を使い、話を2分間します。
 話の後「この話では3つの大切なことがあると言っていました。
「さてその大切なことは何でしょう?」
「ここで先生が言いたかったことは、何でしょう?」
 と子どもたちに問います。
 この取り組みを続けるうちに、子どもたちはいつの間にかメモをとって聞くようになった。
 自分で覚えられないときにはメモが必要であるということを意識させるためにも、重要な学びとなる。
 このように、授業中のちょっとした時間でも、子どもたちの「聞いてまとめる力」をつける取り組みができるのである。
(成瀬 仁:公立小学校教師。オーストラリア公立小学校での勤務経験がある。また、幼稚園の経験もあり、多彩な教職経験を生かし、子どもと環境、教師の雰囲気について考えながら、現役で教壇に立っている)

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充実した素晴らしい教師人生を送るにはどうすればよいか   古川光弘

 充実した素晴らしい教師人生を送るにはどうすればよいか、古川光弘はつぎのように述べています。
 せっかく教職というすばらしい職業を選んだのですから、素晴らしい教師人生を送ろうではありませんか。
 充実した教師人生を送るために、私からつぎの5つのメッセージを送ります。
(1)追い求める目標を持つ
 目標とする教師を持つことが大切です。
 この人と思ったら、とことん追い続けてみることです。
 それが自分自身の確立に役立ちます。
 自己流では壁にぶつかると伸びません。
(2)同じ志を持つ仲間をつくる
 ホンネでものが言い合える仲間を持つということは、何事にも変えがたい価値があります。
 私は22年前に教育サークルを結成し、月に2回ほど集まって、わいわいと教育のことを話しています。
 一人ではできない研究も、仲間となら続けることができます。
 ぜひ、そのような素晴らしい仲間を見つけて、サークルをつくってください。
(3)身銭を切る
 学ぶことにお金を惜しんではいけません。
 本、研究会参加費などに身銭を切りましょう。
 お金はプロとしての自己を確立するための投資です。
(4)本を読む
 教師は教育のプロなのですから、常に教育雑誌の2,3冊に目を通して、最新の情報を取り入れることはしてほしいと願っています。
 それから、教育書も月に2,3冊は購入して指導技術を学んでほしいと思っています。
(5)頼まれたら断らない
 頼まれるということは、あてにされているということです。
 研究授業など、どんなことでも、自分のためにならない仕事はありません。
 すべて血となり肉となっていきます。
 積極的にチャレンジしてほしいと願っています。
 忙しい人に仕事を頼めと言われます。
 忙しい人の方がいい仕事をするからです。
(古川光弘:1962年生まれ、兵庫県公立小学校教頭、「教材・授業開発研究所」事務局長。「子どもの心をどうつかむか」を生涯のテーマとし、日々の実践にあたる)

 

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国語科:10分間パーツ教材で授業を組み立てる   古川光弘

 10分間パーツ教材で授業を組み立てると古川光弘はつぎのように述べています。
 以前、大変落ち着きのない学級を担任したとき、様々な個性の子どもたちがいて、45分間、とにかく席に着かせ、集中させることに苦労した。学級崩壊の危機を感じたほどである。

 ただ、その心配は最初の数週間で消えた。10分間のパーツにこだわる授業を始めたからである。
 1年生と6年生が同じ45分授業であるというのもおかしな話で、発達段階に応じて、パーツに分けてはどうかというのが、10分間パーツ教材の発想である。

 効果的に配列し、確認しながら授業を進行することにより、子どもたちは驚くほど授業に集中するようになる。
 10分間パーツ教材には次の4条件が必要である。
(1)10
分前後で完結・区切りをつけることのできる教材
(2)
シンプルかつ単純明快な教材
(3)
必ず全員が取り組むことのできる教材
(4)
授業のねらいに沿う教材
 何も難しいことはない。誰にでもできる普通の授業である。

 子どもたちを引きつけ、子どもたちの集中力を飛躍的に高めることができるのである。
 例えば、国語「ふきのとう」(2)10分間パーツ教材の授業は7教材である。
(1)
既習漢字の復習(約5分間)
 全員起立させ、漢字を5つほど「イチ、ニイ、サン・・・・」と筆順を唱えながら空書きさせる。
(2)
新出漢字の学習(約5分間)
 毎時間2~3文字ずつ進めていく。指導書き、なぞり書き、うつし書きのステップで。
(3)
教材文の視写(10分間)
 教科書の「ふきのとう」を丁寧に写し取る学習である。
(4)
口の体操(約2分間)
 「あいうえお」の口形指導、発声指導を簡単なリズムに乗せて行う。子どもたちは大喜びで取り組む。
(5)
教材文の音読(約5分間)
 「ふきのとう」を「声のメガホン」という声の大きさの指標を駆使しながら、抑揚を付けた音読。
(6)
発展学習:詩文の暗唱(10分間)
 黒板に書いている短い詩を、一文ずつ消していきながら、何度も暗唱させる。

 一文を消すごとに子どもたちの意欲が高まるので教室の雰囲気は最高潮に達する。
(7)
国語クイズ(約8分間)
 国語クイズで楽しんで学習を終える。

「もっとやりたい」と乗ってきたところでやめるのがコツである。
 このように10分間パーツ教材をねらいに沿って配置する。リズムのよさが分かると思う。

(古川光弘:1962年生まれ、兵庫県公立小学校教頭、「教材・授業開発研究所」事務局長。「子どもの心をどうつかむか」を生涯のテーマとし、日々の実践にあたる)

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人生の幸・不幸を決めているのは出来事や出逢いではない   軌保博光

 人生の幸・不幸を決めているのは出来事や出逢いではない。
 学びの心をもっていれば、そこから気づきに変えて、未来を拓くと、人生は劇的に変わると軌保博光はつぎのように述べています。
 僕は講演会などで、幸、不幸を決めているのは出来事や出逢いではないってことを伝えています。
 僕が山口県の萩に行ったとき、あるおばあちゃんがつぎのようなことを教えてくれた。
「すべての出来事を良いとか、悪いとか決めるのは自分の心」
「もしあなたが幸せな人生を過ごしたいのであれば、いつも学ぼうとする心を持っていなさい」
「嫌なことが起こったとき、なんで自分だけこんな目に遭わないといけないんだと、心に傷が残るでしょう」
「でもね、学びの心を持っていれば、どんな出来事が起こっても、そこから学びの『気づき』が残るの」
 学ばず、「傷」としてへこみ、ひきずって生きるのか、学び、「気づき」に変えて未来を拓くのかで人生は劇的に変わる。
 幸せになる人は、自分がコントロール出来るものに時間を注ぐ。
 幸せになりにくい人は、自分がコントロールで出来ないものに時間を使って苦しんでいる。
 なにかトラブルが起こったときに、とっさに出る感情はなかなかコントロールできない。
 でも、その起こった出来事に対しての意味づけはできる。
 例えば「ガン」になって、
「なんで私がガンにならないといけないのよ、私はなんてついていないの」
 と嘆き腹を立てる人と、
「ガンは自分に正直になりなさいというメッセージだ」
 と意味付けし、自分に正直にいきいきとやりたいことをやった人ではその後の人生はまったく変わる。
 僕の知り合いで末期ガンを克服した人が三人いるけど、三人とも後者です。
 出来事が幸、不幸を決めているんじゃないってこと。
 僕は今から十三年前にうつ病になり、
「自分が嫌でしょうがない」から「自分であることが楽しくてしょうがない」変わった。
 その大きな理由は、
「すべての出逢いは良き出会い、すべての出来事は良き出来事」と決めてからだ。
 路上に座って、目を見てその人に向けて言葉を書いていたとき、突然パンチパーマのおばあちゃんがやってきて、
「お前、書道やったことねえだろ。無茶苦茶じゃねえかよ」
「人に売ってんじゃないよ、バカ野郎」
「書道は細く太く書いたらうまく見えるだよ、バーカ!」
 とボロクソに言われた。
 そのとき、僕は腹が立った。
 でも、この出逢いは良き出逢いなんやと思って、細く太く書いたら字が変わって、一日の売り上げが千円から五万円まで上がっていった。
 出逢いが最悪と決めていたら、今の幸せは絶対にないと思う。
 幸、不幸を創るのは出逢いや出来事じゃなく、それに対しての意味付けだということ。
 人生は意味付け一つで変えられる。
(軌保博光:1968年兵庫県生まれ、吉本興業退社後、「貴方の目を見て詩を書きます」という即興スタイルと呼ばれる路上詩人の先掛け的な存在。映画製作や植林、災害支援など幅広く活動)

 

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国語科:いきなり核心にせまる音読    花生典幸

 いきなり核心にせまる音読について花生典幸はつぎのように述べています。
 国語はできれば毎時間、授業の最初に音読を取り入れたいと思う。発声の練習になるし、授業も活性化する。
 しかし時間がない。このジレンマを解消するためのひとつが「いきなり核心にせまる音読」である。
 例えば、「大造じいさんとガン」で、
「ここまで、大造じいさんの気持ちや考え方を中心にして、物語を読んできました」
「いよいよ三の場面ですが、さて、大造じいさんの気持ちは変わっていますか?」(発問)
 こう問いかけると、子どもたちのほとんど全員が「変わっている」と答える。それを受けて、
「みなさん、変わっていると考えるのですね」
「では、ここから変わっている、というところを見つけて、そこから先を音読してもらいます」
「確認する時間は1分。音読の時間は5分です」(指示)
 1分後、子どもたちの読み声が、教室中に響きわたる。
 三の場面はクライマックスにあたる場面である。
 授業の導入で音読を始めたいが、少なくとも10分以上かかってしまう。
 そこで、本時の解決すべき課題である、大造じいさんの気持ちが変わったポイントにいきなりせまって、そこから音読させるのである。
「いきなり核心にせまる音読」を行うと、子どもたちの集中力が変わってくる。
 自分の読解(理解)を、そこに反映して読まねばならないので、真剣度がアップするようになる。
 そして、この方法の一番のメリットは、音読という表現活動が、自然な形でその前後の読解とリンクするという点にある。
「考えた結果を音読に表してみる」
「自分の考えと友だちの考えを比較するために音読して比べてみる」等、
 授業のねらいによって、その取りいれ方や方法は少しずつ変わってくるが、できるだけ本時の課題(核心)に近い場面で設定するのが、授業の効果を上げるポイントである。
 短い時間で効果が上がる「いきなり核心にせまる音読」を一度試してみてはいかがでしょう。
(
花生典幸:1963年生まれ、青森県八戸市公立小学校教師、八戸市教育委員会指導主事を経て八戸市公立小学校校長。全国国語授業研究会理事、国語授業ICT研究会理事)

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教師が親にクレームをつけられないためにはどうすればよいか

 親にクレームをつけられないようにするにはどうすればよいか、多賀幹子はつぎのように述べています。
 クレームの集中砲火を浴びせるモンスターペアレントと呼ばれる親がいる。

 東京都内の小学校のある教師は、かすり傷を負った子どもの親から「絆創膏をはるほどのケガなのに、なぜ親にしらせないのか」と電話でどなりつけられた。
 親はさらに学校を訪れ、教師を数時間にわたり叱責した。
 教師はその夜から眠れなくなり、うつ病と診断された。

 教師の真摯な取り組みや地道な努力を踏みにじるモンスターペアレントには心から憤りを感じる。
 誠実な教師ほど苦しんでしまうのだろう。

 小・中学校で親の対応が増えて神経を痛め、休職や退職に追い込まれる教師が増えている。
 授業の準備時間が足りないという教師も7割を上回る。

 クレームで最も多いのは、「うちの子をいじめた子を転校させて」といった、自分の子どもを最優先させるタイプである。
 こうした親に共通しているのは、孤立と孤独だろうと思う。
 楽しく充実した毎日とはほど遠い生活を送り、欲求不満を募らせている。
 善意の集団である学校は、苦情を持ちこむにはうってつけの場所なのだ。

 これに対して、各教育委員会などが、支援制度や支援チームを組んで、対応に乗り出し、ある程度の抑止力になっている。
「しっかりした制度」は親のモンスター化を防止するかもしれない。忙しい教師にとって願ってもないことだ。

 岩手県の苦情対応マニュアルでは、身構えることなく、事実をもとに冷静に対処する。
 言い分を十分聞いたうえで正しい情報を伝える。
 プライドの高い親には、発言を無視されると攻撃的になるので丁重なあいさつなどに留意する。
 愉快犯型の親は、苦情などにとまどう様子を見て快感を得ようとするので、決して一人では対応しない。
 金品を要求してくる親に対しては、毅然とした姿勢を貫き、警察と連携を密にとる。
 といった対応が示されている。

 かつては、「子どもが好き」で教師の仕事を選んだ人が多いが、クレーム社会となった今は、子どものことをやっていればよい時代ではなくなった。
「子どもや親と関わることが好き」でなくてはいけない時代になっている。
 教師は、子どもにとってプラスになることを親とともに考える、という姿勢を持つことが大切になってきた。

 教師と親の対立でもっとも損害を被るのは子どもたちである。
 子どもたちのためなら教師と親は協働できるはず。
 教師は親からのクレームにたじろがないでほしい。

 むしろ、ふだんから親とのコミュニケーションを積極的に取ってほしい。
 子どものプラス情報を、ここぞというときに親に伝えてほしい。
「先生はちゃんと見ていてくれたんだ」
「気がついていてくれるんだ」
 と感じることほど、親に信頼感を持たせることはない。

「うちの子は大事にされている」と感じ取れば、クレームをつける親などいないだろう。
(
多賀幹子:広告会社の編集者を経て、フリージャーナリスト。女性・教育・異文化を取り上げる)




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学級が荒れないようにするポイントとは

 学級が「荒れる」までには、必ず「小さな問題」が発生する。
 この時、その日のうちに解決する、特別な場合を除きクラス全員で解決するようにする。
 なぜ、その日のうちに解決するのかと言うと、時間がたつと忘れてしまう。また、感情のもつれがひどくなることがあるから。
 クラス全員で解決するのは、子どもたちは事件からさまざまなことを学ぶからである。
 小さな問題ひとつひとつにいて、教師は見逃さず、いい加減な対応をしないことが肝心である。
 これをいい加減に行ったり、怠ったりすると、子どもと教師の「人間関係」、つまり「信頼関係」が崩れることになるからである。
 そのためには、まず「事実確認を怠らない」ことである。
 まず、当事者の子どもを呼ぶ。そして、ひとりずつ、何をしたのか、何を言ったのかを言わせるのである。
「どうしたの?」「何と言ったの? 言ってごらん」と優しく、そして静かにきけばよいのである。
 高圧的に、詰問するように行う必要は全くない。
 いたずらに感情的になって「事実確認」をすると、事実が確認できないということにもなりかねない。
 ひとりの子が言い終わった後に、次の子というようにするのである。
 これによって、子ども同士の「言い分」に矛盾が生じてくることがある。
 それについて、どうなのかきいていけばよいのである。
「どんな状況だったのか」をクラスの子どもたちに理解させ、そのあと、「どのような言動をすべきだったのか」について考えさせる。
 無理やり一つにまとめる必要はない。
 最後に「先生はこう思う」と言って、終わる。
 ざわついて教師や友だちの発言が聞けないときがある。
 人の話に集中させるには、きっぱりと「全員、起立!」と言って立たせる。
「話を聞くときの約束を思い出した人は、音をたてないように座りなさい」これで、集中して聞くことができるようになる。
 もちろん、「口を結んで、最後まで聞く」「話し手の目を見る」などの約束事は事前指導しておく。
 この方法のよいところは、行動を責めたりしない。
「約束を思い出した人」と行動の主体性を残している点である。
 学級が荒れる原因のひとつに、教師が子どもたちに対して、教師の尺度で要求し、一人ひとりの子どもたちの違いを考慮することがない場合が考えられる。
 子どもたちに対する要求は、一概にまずいといえるものでもないが、時として、教師と子どもたちの人間関係・信頼関係を損ねることにもなりかねない。
 つまり「ああしなさい」「こうしなさい」式の「指示と命令と禁止だけの要求」であっては、子どもたちは動かない。
 学級の雰囲気をこわさないで忘れ物を少なくするには、忘れた子を起立させる。
 忘れた理由を言わせる。
「明日から気をつけなさい」と毅然とした態度で注意する。
 これだけである。あとは何もいわない。忘れ物をした子は「しまった」と思っているものである。
 これで十分反省の指導になっている。
 感情的な説教や文句は、必ずといっていいほど学級の雰囲気をこわし、忘れものの数は減らない。
 そればかりか、学級の人間関係もこわしかねない。
 教室の整理整頓を自覚させるのに録画を活用するとよい。
 子どもたちが音楽室などに移動した後、教室の机や椅子が乱れ、ごみが落ちていたりすることがある。
 注意するだけでは、その場限りの効果しか望めない。どうすればよいか。
 乱れている机や椅子の様子を録画し、子どもたちに見せるとよい。
「きみたちが教室を出たあとの様子を見せます。気づいたことを頭の中にメモしましょう」と言って、録画をテレビで見せ終わった後、子どもたちに「机が曲がっている」「紙くずが落ちている」など発表させる。
「これから、教室を出る時に、しようと思ったことを言いましょう」と全員に言ってもらう。
 効果を確かめるため、次に教室が移動した後も録画して、前の映像と比べるようにして見せる。
 たったこれだけのことで、整理整頓を意識し始める。その効果には継続性がある。
 集団で何らかの活動をやっている時、自分の思いどおりにならないことに腹を立てて「すねる」ことがある。
 この時、なぐさめたり、叱ったり、つれもどそうとしたりすると一時的に気分がおさまるかもしれない。
 しかし、まわりがなんとかしてくれるという甘えを助長させることになる。
「すねた」子どもには、こう対処するとよい。
「すねる」その子をほっておく。
 すぐに楽しい活動をする。すねている子は気になって何度も見る。少し声をかけてやる。活動に参加したことを後でほめる。
(
戸田正敏:1957年生まれ、千葉県公立小学校教頭。全国学級づくり研究会・学級づくり中央研究所代表。子どもたちの集団自治力を高め、生き生きと活動する「学級づくり」を目指して実践を重ねています)

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問題行動が起きたとき、どう指導すればよいか   戸田正敏

 問題が起きたときほど教師は「しめた!」と思うべきである。
 問題が起きたときは、指導のチャンスであり、子どもたちを変えられるチャンスである。
 それが、子どもたちの心の成長や、学級集団の成熟につながる。
 問題が起こったときほど教師は「心の余裕」を持ちつづける必要がある。
 事実の確認を怠らず、素早く、しかし、じっくりと指導にあたる。
 一回の指導ですべてを解決しようと無理をせず、じっくりと指導にあたるようにする。
 学級内で問題が生じたときは、話し合って、学級のルールをつくるチャンスである。
 しかし、必要以上にルールの数は増やさないようにする。
 最終的には、ルールがなくても子どもたちがよりよく行動できるようにすることである。
 学級で問題が起こったとき、教師の「落差のある言動」によって、子どもたちへの指導が入りやすくなる。
 つまり、いつもの「明るく、楽しい雰囲気」から一変して、「これはヤバイぞ、いつもと違うぞ」と思わせるような言動によって指導が入りやすくなるのである。
 落差のある言動とは、「声のトーンを落とす」「毅然とした態度をとる」ことである。
 声のトーンを落とすことによって、子どもたちに「おや、いつもとは違うぞ」と暗黙のサインを送ることができる。
 その暗黙のサインによって、教師の指導に耳を傾ける雰囲気づくりができます。
 「声のトーンを落とす」ことにより、教師が感情的にならなくなり、必要以上のことも言わなくなる。
 教師が大きな声を出せば出すほど、子どもたちは反省するのではなく、教師の声が頭の上を通り過ぎていくのをがまんして待っているだけである。
「声のトーンを落とす」のは、問題行動の指導の基本的な技術である。
 指導を行うとき、子どもたちがざわついて話を聞いていなかったりした場合は、あえて何もしゃべらず、しばらくの間、黙っているようにする。
 注意する子が現われてクラス全体が静かになった段階で声のトーンを落として指導を行うと、さらに効果的になる。
 この「静かになるまで教師が黙り、その後で声のトーンを落として指導する」という方法を何回が続けることにより、暗黙の指導となり、問題行動に対する指導の習慣化が図れる。
 このような指導は、ふだんの「明るく、楽しい雰囲気」があってこそ得られるものであり、いつも大きな声でガミガミと指導を行っているようでは、効果がない。その点を理解し、心に留めておく必要がある。
 問題行動に対する指導は「短く、ズバリと行う」ことが鉄則である。
 問題行動が生じたときの指導は「何が問題か」、「これからどうすればよいか」という二点をズバリひと言で子どもたちに伝えるだけでよい。
 お説教は、長くなりやすく、子どもの悪さを指摘し「だから、ダメなんだ」という精神論的訓話になりやすい。
 教師の声のトーンが高くなりがちで、このような状態になると、子どもたちは教師の話を聞く耳を持たなくなる。
 これが続くと、どんなことについても教師の指導が入らなくなり、学級は確実に荒れてくる。
 そして学級崩壊への道を歩むこととなる。
 問題児を指導する場合は、問題行動の事実確認を最優先に行う。
 問題行動を起こした子が複数いる場合は、一人ひとり個別に呼んで事情を聞く。
 事実確認を終えたら、一つ一つの事実の矛盾や違いを追求する。これができれば八割は成功。
 その後、一人ひとり呼んで穏やかな調子で「なぜ、そのようなことをしたのか」理由を言わせる。
 教師は子どもに、その問題行動の「悪さの意味」をズバリひと言で指摘する。
 これが最も重要なポイントで声のトーンを落としながら、毅然とした態度で指摘する。
 指導する場合は、子どもの表情や態度をよく見ながら、子どもとの応答式の指導を繰り返していく。
 このとき、穏やかな中にも毅然とした教師の態度が必要である。
 きつく叱る場面と、情に訴えるような場面、両方を入れるようにする。
 どちらかだけの指導では効果は薄い。
(
戸田正敏:1957年生まれ、千葉県公立小学校教頭)

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教師が授業や学級づくりの腕をあげるためにはどうすればよいか  戸田正敏

 教師の腕をあげるためにはどうすればよいか、戸田正敏はつぎのように述べています。
 どの職業でもプロ意識を持っている人間は「いかに手をかけるか」「いかに自らの腕を上げるか」ということを常に考えている。
 教師として腕を上げようとするとき、サークルは欠かせない。
 自分の実践を記録や論文にまとめ、それをメンバーに検討してもらうことにより、教師の腕が向上していく。
 教師としての腕を上げたいと思ったら、すぐにサークルをつくり、活動を始めるべきである。まさに「鉄は熱いうちに打て」である。
 教師が授業を義務感で仕事を進めていると苦痛になる。
 まず、もっと教師が授業や学級づくりを楽しもうとする意識をもつこと、そこからすべてが始まる。
 教師が授業を楽しみ、学級を創っていくことを楽しいと感じられるとき、子どもたちもまた、授業が楽しくなり、「このクラスにいてよかった」と感じるようになるのである。
 しかし、教師が授業や学級づくりを楽しもうと思っただけで、授業や学級づくりがうまくいくのであれば、こんな楽なことはない。
 教師はそれだけの努力をしなければならない。
 他の教師よりも勉強し、研究し、自分の実践に対して厳しくなくてはならない。
 そのために常に自分の実践を振り返り、愚直なまでに実践を追い求めなければならない。
 そこには、子どもたちの目線まで下がって学級の子どもたちをみつめ、今の子どもたちから出発する実践が重要である。
 辛いことや苦手なことに対して逃げるのではなく、自らを向上させる絶好のチャンスととらえ、挑戦するのである。
 それこそが教師としての腕を向上させ、実践を楽しむ源となるのである。
 教師としての自分に厳しくならない限り、授業や学級づくりを楽しむことはできない。
(戸田正敏:1957年生まれ、千葉県公立小学校教頭。全国学級づくり研究会・学級づくり中央研究所代表。子どもたちの集団自治力を高め、生き生きと活動する「学級づくり」を目指して実践を重ねています)

 

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なめられる教師となめられない教師はどこが違うか、教師が心がけたいこととは    桶谷 守

 なめられる教師となめられない教師はどこが違うか、桶谷 守はつぎのように述べています。
 教師は子どもになめられたら、指導が入らないし、授業も好きかってな子どもの言動が横行し、崩壊状態になるという話をよく聞く。
 私が学生に「なめられる教師って、どんな人?」と聞くと
「指導力がない。毅然とした態度で叱らない」
「叱ったとしても、あまり怒っている感じがしない」
「説得力がない」
「悪いことをしてもあまり叱らない」
「自分本位で授業を進める」
「間違いを指摘されても自分の非をなかなか認めない」
「シャイでオドオドしている」
「威厳がない」
「堂々と発言できない」
「子どもに優しくしすぎる」
 つまり、なめられる教師は、信頼されない教師と考えたほうがいいと思います。
 よくあることですが、子どもから嫌われることを恐れて、子どもに迎合し、かえって信頼を失うことがあります。
 そこで、再び私は学生に「信頼できる教師って、どんな人?」と聞くと、
「問題が起きたとき、頭から否定せず、言い分を聞いてくれる」
「子どもが悪いときには、厳しく叱ってくれる」
「相談したとき、親身に熱心に真剣に話を聞いてくれる」
「わかりやすい授業をしてくれる」
「落ちこぼれや、やんちゃな子どもも切り捨てず、公平に扱ってくれる」
「権力を振りかざさず、知ったかぶりをしない」
「子どもと共に、泣いたり、笑ったりできる人間性が豊かである」
 子どもは教師が自分たちのことを本気で考えてくれているかは、すぐに見ぬきます。
 だから、子どもから良く見られたいと思ってやさしくしている教師や、子どもたちに対する恐怖の裏返しとして厳しく振る舞っている教師も、ともに支持されることはないのです。
 それでは、子どもたちから信頼され、人間関係をよくするために教師が心がけたいことは
1 朝は早めに教室に行き、笑顔で子どもを迎える。
2 朝の会や帰りの会、給食や休み時間に、子どもたちと話し遊ぶことを大切にする。
3 掃除は必ず子どもたちと一緒にする。
4 絶えず集団と個人とを考えながら指導する。
5 ダメなことはダメと毅然と指導する姿勢を示す。
6 教えることに最大の喜びと情熱を持つ。
(桶谷 守:中学校教師、京都市教育委員会生徒指導課長、教育相談総合センター所長、京都教育大学教授を経て京都教育大学名誉教授、大津市教育委員会教育長)

 

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親の要望・苦情に対して、教育委員会の手引をもとにした対応のポイント

 親の要望・苦情に対しては、大阪市教育委員会の手引(大阪大学の小田野教授が協力)をもとにした法的な対応も前提にした対応のポイントは
1 適切な初期対応
(1)
相手の主張をまずは最後まで丁寧に聞く
(2)
その時点での事実をつかむ(事実と、思い込みや推測、感情との区別)
(3)
相手の要望・苦情の趣旨をつかむ(誰に対して、何について不満を持っているか、何を求めているのか)
(4)
加害者や被害者といった関係者のある場合は、双方の言い分を聞く(一方だけで判断しない)
(5)
その日のうちに動く(場合によっては即刻の対応が求められる)
(6)
管理職に報告・相談する
(7)
詳細に記録を残す
(8)
即答できないことは後日返事をする。(迷うときは即答を避ける。明らかに謝罪すべきことは、その場で謝罪する)
2 事実の確認
(1)
時系列で事実を正確に整理する
(2)
複数で対応する
(3)
記録を残す
3 組織的な対応
 管理職は正確な事実確認とそれに基づいた判断をすること。
 教職員を孤立させず、心情を理解しながら支えること。
 親の訴えに真摯に向き合うこと。
 そして組織的な対応をリードすることである。
(1)
当該の教職員だけで対応させないようにする(時間的、精神的にかなりの労力になるため)
(2)
対応内容と課題を整理・分析し、対応策を共有する
(3)
対応窓口を明確にする
(4)
適切に情報を管理する(外部に漏れないようにする配慮が必要)
4 関係機関との連携
 管理職を通じて、教育委員会に報告・相談をする。
 内容により、教育センター・児童相談所・保健福祉センター・警察などとともに解決に向けて動く必要がでてくる。
(
渋井哲也:1969年生まれ、ライター、ジャーナリスト、ノンフィクション作家)




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子どもたちに印象に残るような話し方とは    大内善一

 知らず知らずのうちに話をしている人の人柄も聞いている子どもたちに伝わってしまっていると大内善一はつぎのように述べています。
 私は茨城大学附属中学校の教師だったとき、三人の校長に仕えました。
 毎週、月曜日の全校集会の校長先生のお話を興味深く聞いていました。
 そして、生徒たちはその話をどのように聞き取ったのか、教室に戻ってきた生徒たちに聞きただしてみることを、ひそかにやっておりました。
 私は生徒たちに、
「今日の校長先生のお話の中で、大事なお話が三つ話されていたよね、はい、三つ言える人」
 と生徒たちに発表させていたのです。
 生徒は意外と話を聞いていないのですね。
 それは、生徒の責任というよりは、やはり本当に印象に残るような話であったのか、ということもあると思います。
 この三人の校長先生のうち、ある校長先生の話に関しては、生徒は本当に熱心に聞き浸っていたように思います。
 私も校長になったので、この校長先生のような話をしてみたいなと思って、努めているのですけれども、こればかりはなかなか難しいものです。
 この校長先生は、決して理路整然とお話しするわけでもないし、情熱的な話ぶりで生徒たちを圧倒するといったわけでもなかったのです。
 むしろ、後ろの生徒たちには聞こえるかどうか心配になるぐらいの、ボソボソとした静かな語り口で話されていたのです。
 おそらく生徒たちには、そのような話しぶりまで心に刻み込まれていたのではないかなと思われます。
 私たちが子どもたちの前で話をする時、あまりに理路整然とした理詰めのお話しをするのは、子どもたちの思考のサイクルには合わないようです。
 また、情熱的な雄弁な話し方も、子どもたちにはどこか押しつけがましさが伝わってしまうのですね。
 ですから、子どもたちの心を素通りしているのですね。
 最近は、論理的思考ということが盛んに叫ばれています。
 確かに論理的な思考は大切なのですが、論理的思考一辺倒だけでもうまくいかないと思います。
 やはりパランスが大事なのではないでしょうか。
 ですから、話し言葉の教育の場合は
「情理を尽くして説く」
 という姿勢を、子どもたちにも教えていくべきだと思います。
 内容だけをうまく伝えようとしても、うまくいかない。
 聞き手も頭では分かっていても、心のどこかで
「そんなことを言ったって」
 と反発しているということがあると思うのです。
 知らず知らずのうちに話をしている人の人柄も聞いている人には伝わってしまっているのですね。
 そういうことも子どもたちには自覚させながら、話をしていくことができるような能力を身に付けさせてあげたいと常々思っております。
(大内善一:1947年生まれ、国公立小学校・中学校教師、秋田大学・茨城大学教授・附属校長を経て茨城大学名誉教授)

 

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従来型の競争的な学習から協同学習の時代に変わった  江利川春雄

 従来型の競争的な学習から協同学習の時代に変わったと江利川春雄はつぎのように述べています。
 従来型の競争的な学習では、子どもたちを勝ち組・負け組に分裂させます。
 勝つ可能性がないと思った子どもたちは、あきらめて学びから逃走します。
 多くの子どもにとって学校は親よりも低い学歴と社会的地位へと転落する挫折の場所になっています。
 学びが競争である限り勉強からの逃走は当然の現象なのです。
 ですから、強制的な勉強や試験では、多くの子どもは動きませんし、教師が知識を切り売りするような講義型の一斉授業はもはや通用しなくなっています。
 これまでの競争的な学習ではなく、「協同と平等」の学習、つまり仲間と学び合い・教え合い、安心して失敗でき挑戦できる教室で、学びの楽しさを実感することにより、自律的に学ぶ子どもに育てることができます。
 教室内に「認め合う関係」が築かれていく中で、子どもたちに自尊感情が育ちます。
 そのような21世紀型の新しい学びとして、小人数グループでの学び合いによる協同学習を取り入れた授業改革が急速に広まっています。
 学力や学習意欲の向上、いじめなどの問題行動、不登校や退学の減少など、各地でめざましい成果を上げています。
 協同学習を核とした学校改革である「学びの共同体」づくりを進める学校は2012年現在、小学校で約1500校、中学校で約2000校に達しています。部分的に協同学習を取り入れている学校はその数倍はあるでしょう。
 「学びの共同体」づくりを進めている、静岡県の岳陽中学校では、不登校が38名から6名に減少し、 学力を富士市内14校の最底辺からトップレベルに向上させました。
 文部科学省も2011年4月に発表した「教育の情報化ビジョン」で、一斉学習や個別学習に加えて「21世紀にふさわしい学び」として「子どもたち同士が教え合い学び合う協働的な学びを推進すること」を明記しました。
 このように、協同(協働)学習は21世紀型の学びのスタイルとして着実に定着しつつあるのです。
(江利川春雄:1956年生まれ、和歌山大学教授。専門は近現代日本教育史特に英語教育史、英語教育学)

 

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子どもたちは、なぜ教師に反抗するモンスターチルドレンとなるのでしょうか

 子どもたちはなぜモンスターチルドレンとなるのでしょうか。
 モンスターチルドレンとは、学校や教師に対して、狡猾に反抗する子どものことです。
 子どもたちがモンスターチルドレンとなる原因は、子どもを「小さな大人」として扱い、私たち大人と対等な存在と見なしてしまうことにあります。
 そうすることによって、子どもはかえって絶えず過大な要求をするようになってしまいます。
 私の知っている幼稚園のほとんどは、子どもを大人と対等なパートナーとして教育活動をしています。
 子どもたちは2~6歳という、人格がほとんどできていない年齢で、もう独自の人格として扱われ、それを伸ばしてやるべきだというのです。
 もし、このような神経医学上の重要な認識に反した考え方が教育の基盤になってしまうと、子どもたちはわがまま放題のモンスターチルドレンになってしまいます。
 ドイツのテレビ番組で、崩壊した家庭で、手のつけられない子どもたちに、金切り声をあげて叫ぶ親の様子が放映されています。
 こうした番組が高い視聴率を上げているのは、社会にひそむ感情を表現し、家庭崩壊が身近なことととらえられているからです。
 私は診療所で児童精神科医として毎日、子どもや青少年を見ています。
 問題をおこしている大部分の青少年は精神の成長が6歳以下の精神年齢で止まってしまっています。
 そのため彼らは、自分たちの周囲の人たちとスムーズな関係を築くことができません。
 子どもたちが精神的に成長するには、けじめある親や教師に囲まれて生活し、社会で生きていくために不可欠な精神の働きが最もよく育つように、基本的なふるまい方をたえず訓練し、誤った行動があれば反省させる指導をしなければなりません。
 子どもの精神を成長させる見込みは、学校の方が大きいということになります。
 崩壊した家庭では親と子どもとの関係が混乱してしまっているからです。
 したがって、小学校の教師にとって、学ぶことができるようになるための土台を子どもの中に育てる責任があります。
 学校で子どもの精神を育てることが重要だということです。
(
ミヒャエル・ヴィンターホフ:1955年ドイツ生まれ、医学博士、1988年から児童精神科と精神療法(心理療法)の診療所を開く)

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行き詰まりを感じるときは、体から心の型をつくり生活にメリハリをつけるとよい  齋藤 孝

 人が行き詰まりを感じるときの解決法は、環境を変える努力をするか、精神面を整えてしまうかです。
 あまり無理をせず、少しずつ問題に取り組むことで、意外と事態が好転するかもしれません。
 スポーツでも何でも、実力が急についたわけでもないのに、方法や考え方をちょっとアレンジするだけで、結果が出るようになることがありますよね。それと同じです。
 私自身、実際に肩の力を抜くという練習をずっとやっています。
 首や肩を回したり、上体をゆらしたりしてほぐしてみたり。
 ふっと息を吐くことで「それほど力む必要ないか」と気づくことがあります。
 体と気分は連動していますし、気分と心もまた連動しています。
 ひと息つくのは本当に大切なのです。
 身体感覚とは心の基盤です。
 その意味で心を体から整えようとするのは合理的と言えるでしょう。
 昔の日本人が安定した情緒を持っていたのは、体の「型」ができていたことと無関係ではありません。
 たとえば正しい姿勢で座ること。きちんと座ると心も落ち着きます。
 学校で子どもたちに「ちゃんと座りなさい」と教えるのも、落ち着く心を育てることに通じます。
 自分が何をしたときに気分が和らぐのか、いくつか知っておくのは重要でしょう。
 悩みを抱いているときに、自分よりも経験のある人に相談するのも有効な手段です。
 ただし、それは解決策を教えてもらおうというのではなく、自分の思考の整理を目的とするべきです。
 また、何事もメリハリは大切なことです。
 年中、頑張っているのでは疲れてしまいます。
 割り切って力を抜く日を設定してもいいと思いますよ。
 ジョギングにたとえるとわかりやすいのですが、意図的に力を抜いて走ってみても、意外とタイムは大きく落ちなかったなんてことは往々にしてありますからね。
 あれもこれもと欲張らずに、自分の生活サイクルに上手に緩急をつけることで、やるべきことが何かしぼり込めるはずです。
(
齋藤 孝:1960年生まれ、明治大学教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論)





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子どもや親とのコミュニケーションのポイントはメンツや自尊心をつぶさない  田中和美

 子どもや親とのコミュニケーションについて田中和美はつぎのように述べています。
 経験が浅い教師にとって、十人十色の子どもたちやその親ときちんとコミュニケーションをとることは容易なことではありません。
 これまで、うまくいったコミュニケーションの経験を自分のひとつの「型」にして、相手の反応が予想と違ったら、軌道修正していくことが考えられます。「型」を意識してみるのです。
 ここでポイントにしたいのは相手のメンツや自尊心をつぶさないということです。
 たとえば、親への電話で、つぎのようなサンドイッチの型にしてコミュニケーションをとります。
「お伺いしたいことがあります」+「要件」+「お伺いしてよかったです」と、肯定的にコミュニケーションすることを意識します。
 子どもの指導は、まず、子どものいいところをしっかりと認める。これがとても大切です。
 たとえば、机間巡視でつぎのように声かけします。
「ここまでは、出来ているよ」+「指導」+「こうやってごらん。あと少し」
 体育の時間は体操服に着替えるのがルールなのに、着替えないで出て、サッカーをしていたとします。
「こら、ルール違反だぞ!」と言っても、ルール違反をわかっていてやっているのでだめです。そこで、
「おっ、サッカーやる気あるな。でも、ルールがある。着替えて来い!」と言えばどうでしょう。
 指導するときに、認めるなど一言を入れるようにします。
 コミュニケーションする順番は、まず、いいことを言ってから、課題を続けると相手は聞きやすくなるものです。
 相手の自尊感情に敏感であれば、教師の思いは通じるものです。
(
田中和美:元大阪府公立中学校教師、教育委員会相談員)

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教師の遊び心が子どもとの距離を縮める   斎藤 修・篠崎純子

 教師の遊び心が子どもとの距離を縮めると斎藤 修・篠崎純子はつぎのように述べています。
 子どもたちは、いろんなことで傷ついています。
 だからリハビリ期間が必要なんだと思うんです。
 そして、こんなに傷ついていたんだというのが分かれば、教師にも余裕が出てきて、遊べます。
 例えば「タイムぴたり賞」などと名前をつけて、どのグループが決められた時間にピッタリ来るか、作戦を立てて競わせる。あるいは、何歩で歩いて来るか、誰が一番少ない歩数で来るかとか。
 あるいは三分で終わるゲームを用意する。
 早く終わってしまうので、遅れて来た子には「ああ、惜しかったね、三分で終わっちゃった!」
 そういうふうに、ありとあらゆる方法を試す。
 ピッタリうまくいくのは少ないのですが、だけど何かは出てくる。
 掃除が早く終わったら「五分で読める怖い話」を読んであげたり。
 教師というのは、日々子どもと接しているので、遊び心をどれだけ持っているかというのもすごく大事だと思います。
 例えば教室に入るのもどうやって入るとか。
 でもその遊びって、自分が楽しいことをやる。
 なんといっても、相手は子どもだから、言葉だってボケてくれる。
 そこに突っ込む楽しさだとか、教師の遊び心が子どもとの距離を縮めてくれるんですよね。
 また管理的な学校に風穴を開けることにもなるんですね。
(斎藤 修:千葉県公立小学校教師、篠崎純子:神奈川県公立小学校教師 ともに全国生活指導研究協議会常任委員)

 

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いじめをする子どもの指導をどうすればよいか

 いじめをする子どもは、最初は遊び半分で相手をからかうようなことから始めることがある。
 日常が何となく面白くなく不満をもっている場合は、エスカレートしていく。
 仲間を誘い、複数でいじめをするようになると気が大きくなり、集団でいじめをするようになる。
 いじめをする子どもの多くは、学業不振のはけ口として、弱い者をいじめる。
 そのうえ、基本的な倫理観を身につけていないことが多いため、無理難題を押し付け、金品を要求し、恐喝まがいのことも行うようになる。
 いじめをする子どもには、みんなの前ではなく、個別に話をする方がよい。
 いじめをする子どもは取り繕ったり、自分の正当性を述べることが多い。
 そのときは、相手の子どもの心の痛みについて、丁寧に話をする必要がある。
 叱る調子ではなく、いじめをする子どもの心に寄り添いながら指導することも必要になる。
 しかし、いじめが悪質で反抗的な態度をとり続けるときには、「社会の規範に外れること」であると、毅然と真剣な気持ちで語ってやらなければならない。
 いじめをする子どもは、自信をなくしていることが多い。
 そのため、その子どものよい面をとらえ、期待していることを話すなどして、自尊感情を高める必要がある。
「先生は自分の味方だ」と感じるようにし、自信を持たせ、プラス思考に方向づけていきたい。
「先生は本気で気にかけてくれている」
「自分を信じてくれている」
 といった気持ちが子どもに芽生えるよう、教師は真剣にその子どもの気持ちを分かろうと努めなければならない。
 そのためには、子どもの心に響くように語って聞かせる力がなければならないし、子どもが心から信頼する温かい人間性を持ちあわせた教師でなければならない。
(
伊藤三平:元西宮市立小学校長)




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理科の学習の導入はどうすればよいか   村山哲哉

 理科の学習の導入はどうすればよいか村山哲哉はつぎのように述べています。
 理科の学習は何と言っても子どもが自然に親しむことです。
 子どもが見たり聞いたり触れたりする活動が伴うということです。
 ただし、単に慣れ親しんだりすることだけでなく、子どもが関心や意欲をもって対象とかかわることにより、自ら問題を見いだすことまでを含めています。
 したがって、子どもが問題意識をもつことができるように意図的な活動を工夫することが大切です。
 授業の導入にあたっては、子どもたちが十分に触れる時間と場を用意するなどの指導の工夫改善が肝要です。
 例えば、「光の性質」の学習では、子どもたちは屋外で平面鏡を使う活動はあまりしていません。
 そこで、校庭に出て、平面鏡を使い日光を直進させる活動を十分にさせます。
 日陰に物を置いて光の的当て遊びをしたり、鏡を使って光のリレーをしたり、光を集めたりする活動やグループで強い光をつくったりする活動などを仕組むことにより、子どもたちは活動の目的を明確にして、鏡を使って日光という自然事象に自ずと働きかけることになるでしょう。
 こうした活動から、光の直進性や光が重ねることができること、平面鏡の大きさによって反射量が異なることなどに気づき、問題意識をもつことができるようになるのです。
 気づきや疑問を学習カードに書くなどして、問題を設定することができるようにしたいものです。
 このように、理科学習の導入においては、理科の目標を踏まえて、子どもの実態を把握しながら、子どもが具体である自然事象と出会い、何かに触発され、自ずとその性質や規則性に気づくような事象、場、活動などを包含した状況を設定することが極めて重要になります。
(村山哲哉:1963年生まれ、東京都公立小学校教師、教育委員会指導主事 、東京都公立小学校副校長 を経て文部科学省教科調査官)

 

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子どものやる気を引き出す叱り方をするには、どうすればよいか    東ちひろ

 子どものやる気を引き出す叱り方について、東ちひろはつぎのように述べています。
 教師が責めるような叱り方をすると、子どもはいつも同じことを繰り返し、もぐらたたき状態に陥ってしまいます。
 子どもたちは先生に責められていることを強く意識して、先生に叱られた理由を突きつめて考えることにはならないのです。
 そこで、「なぜ!」という問い方を「何」という問い方に変えることを試してみましょう。
 そうすれば、子どもの言い分や事情を聞き出すことができます。
 例えば、
「『なぜ』そんなことをするの?」を、
「『何』に一番気を付ければいいと思う?」
「『なぜ』給食当番を忘れたの?」を、
「給食当番を覚えておく『何』かいい方法はないかな?」
 と言うと、子どもは自分の頭を使って、能動的によい方法を考えようとします。
 教師に注意されたことで、子どもがキレてしまったときは、
「やめなさい」と否定し、すぐ制止しないで、気持ちが落ち着くまで待ちます。
「何が嫌だったの、どうしてほしかったの?」など、理由を尋ねます。
「ふ~ん、そうだったのか」など、子どもの気持ちを理解しようとします。
「本当は、どうしたらよかったと思う?」など、どうするべきだったか本人に気づかせます。
 ガミガミ・ネチネチ・ナガナカは、効果的な叱り方ではありません。
 子どものやる気を引き出すには、「短い言葉で行為を叱る」という方法で、具体的に何がダメなのかを伝えましょう。
 そして、「望ましい行動」を短い言葉で伝えることもできればよりよいでしょう。
 例えば、黙ってとなりの席の子どもの消しゴムを借りてしまってトラブルになったとき、
「黙って人のものを使うことがダメなのよ」(短い言葉で淡々と行為を叱ります)
「『貸して』と聞いて、相手が『いいよ』と言ってからよ」(望ましい行動を短い言葉で伝えます)
 教師の気持ちをまっすぐ子どもに伝えるには、
「『先生』(私)を主語にする」だけで、教師の本当の気持ちがまっすぐそのまま子どもに伝わります。
 逆に、「あなた(子ども)」を主語にした場合は、どうしても、その後に相手を責める感じの言葉が続きやすく、誤解をまねく原因になりがちです。
(東ちひろ:幼稚園・小学校教師、教育委員会を経て、「東ちひろマザーズセラピー」主宰。上級教育カウンセラー、今まで相談を受けた子ども・保護者・学校の先生の数は3000人の相談実績がある。)

 

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ココロの貯金がたまると子どもが変わり、親も変わる    東ちひろ

 ココロの貯金がたまると子どもが変わり、親も変わると東ちひろはつぎのように述べています。
 人はだれでも、心の中に「ココロ貯金箱」をもっています。
 親や教師から、ほほえみかけられる、信頼して任せられるなど「プラスのふれあい」をたくさん子どもがもらうと、その貯金箱の中にどんどん貯金がたまっていきます。
 そうすると、子どもの心に余裕が生まれ、他の人にやさしくなれたり、助けたりすることができるようになります。
 子どもたちの自己肯定感が高まり自信を持って成長していくことができます。
 もちろん、子どもをしかることも必要ですが、「マイナスのふれあい」の方が多くなると、親や教師の言うことを聞き入れず、やる気をなくしたりするのです。
 この貯金箱は、穴があくことがあります。
 けなす、無視する、イヤミや皮肉を言うと、子どもの存在や価値を認めていないことになり、自己肯定感がどんどん下がってしまいます。
 あなたも学校の先生にほめられ、やる気になった経験があることでしょう。
 私は学校の先生にほめられることで一気に大量の「ココロ貯金」が貯まると思っています。
 それほど教師の力は絶大なのです。
 私は家庭に、子どものよさを電話やメモを使って伝え、「ほめ日記」に記録することを1年間つづけました。
「ほめ日記」を通して、教師が子どものどんなところを、どんな言い方でほめたかを親が知ることができます。
 教師にわが子がほめられることで、親の心にも確実に貯金がされます。
 親の「ココロの貯金」が貯まってくると、親が子どもにもやさしい言葉をかけやすくなります。
 
親と教師が車の両輪となり、子どものよさを伸ばしていくことができました。
 意欲的に活動する子、心の安定した子がどんどん増えていきました。
 子ども一人ひとりや学級全体が、確実によい方向に変化していくのです。
 それは、まさに教師としての醍醐味でした。
(東ちひろ:幼稚園・小学校教師、教育委員会を経て、「東ちひろマザーズセラピー」主宰。上級教育カウンセラー、()生涯学習開発財団認定コーチ)

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国語科:論理的に読む「考える」授業づくりとは    香月正登

 論理的に読む「考える」授業づくりについて香月正登はつぎのように述べています。
「中心人物は誰か」の問いに対して「○○です」の答えだけでは考える国語ではない。
 考えることによって、見えなかった登場人物同士のかかわりが見えてきたり、筆者の意図や思考が読めたり出来る。
 国語の授業づくりでこだわっているのは、文脈(文章の流れの中にある意味内容の続きぐあい)という見方を用いて、高学年の「思考の場」づくりである。
 文脈の中に、書き手の見方・考え方(論理)が埋め込まれている。
 論理を見つけ出すことが、読むということである。
 子どもたちがことばについて、問いやひらめきを感じ、思わず文脈を考えたくなる、話し合いたくなる、そういう場の形成こそ、授業づくりの要である。
 子どもたちが「なにか変」と子どもたちが感じ、論理に目が向くよう「文脈をズラす」ことで、ことばの関係が見えてくる。
 これは、すべての学年に共通している。
 どういう視点で「ズラす」かによって、しかけ方も変わってくる。
 高学年の物語文の指導では「登場人物の相互関係」がポイントになる。
 中心人物と他の登場人物との相互のつながりと変容を読んでいくのである。
 登場人物の相互関係の中に、象徴性や暗示性の高い表現も多く見られる。
 ここから、物語のテーマを読み解き、自分との関わりで感想を深めたりする。
「海のいのち」(東書6年下)は、海を舞台にした物語である。
 太一の海への思い、父の死を乗り越え、父をしのぐ漁師を目指した成長が描かれている。
 太一の成長に影響を与えた登場人物を円グラフで表してみる。
 中でもクローズアップされてくるのが魚の「クエ」である。
「クエは登場人物だったんだね」という教師の問いで、子どもたちは「えっ?」となる。
「クエは人間と同じような感情を表していない」
「太一はクエの中におとうを見たのだから欠かせない存在だ」
 と、さまざまな見方が表れ、話し合いが盛り上がる。
 こうした登場人物の相互関係を読んでいくと、太一の成長の背景や太一がどのように成長していったのかもはっきりと意味づけられてくる。
 文脈を「ズラす」目的は、本当に考えなければいけない問題に子どもたちの目を向けることである。
 しかも、もとの文脈とズレた文脈を比較することで、論理がとらえやすくなる。
 読むということは、文脈をつなぐことである。いかに、文章の背景にあるものを読むか。ここに、読むことの、考えることの楽しさがある。
 文脈を「ズラす」ことは「思考の場」の形成の一つの具体である。
(香月正登:1967年福岡県生まれ、山口県公立小学校教師を経て、梅光学院大学准教授。中国・国語教育探究の会事務局長、「ことばの学び」をひらく会代表を務める。実践学の構築を目指し、精力的に現場での授業を続けている)

 

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子どもたちと人間関係が築けない教師の要因とその改善方法   山口菜穂子

 子どもたちと人間関係が築けない教師の要因とその改善方法について山口菜穂子はつぎのように述べています。
1 子どもたちと人間関係が築けない教師の要因
 私の今までの経験から、子どもたちと人間関係が築けない教師には、つぎのような要因が考えられます。
(1)授業力の不足
(2)使命感の不足
(3)約束を守れない
(4)信頼できない
(5)子どもと遊ばない
(6)子どもが好きでない
(7)言葉遣いがきつく近寄りがたい
(8)厳しすぎる
(9)自己開示できない
 などがあります。
2 子どもたちと人間関係が築けない教師の改善方法
 改善する方法としては二通り考えられます。
(1) 教師としての技能不十分な場合
 良い授業を参観し学ぶ。
 授業規律を徹底するコツや話すときの間の取り方、テンポなど、自分との違いを認識し改善するよう努力します。
 また、自分の授業の記録し授業分析します。
 自分の授業を客観的に観ることで、改善点に気づき授業改善に取り組むようにします。
 子どもたちが「分かった、できた」と笑顔になる授業をめざします。
(2)教師としての意欲や態度に課題がある場合
 遊んでくれる教師を子どもたちは好きです。
 子どもと遊んで、子どもの気持ちを理解するようにします。
 脅しの教育はしない。
 叱ったあと、叱った意味があったかを、子どもの言動がどう変化したかで判断すること。
 課題のある子どもほど好きになること。
 本気で子どもたちにぶつかってくれる教師を子どもたちは本能的に見極めています。
 自信をもって体当たりしてみよう。
(山口菜穂子:東京都公立小学校長)

 

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つらいときほど運がたまる   萩本健一

 つらいときほど運がたまると萩本健一はつぎのように述べています。
 実はぼく、30歳のころ自殺しようとしたことがあるんです。
 週刊誌にボコボコに叩かれたことがあってね。
「萩本健一は血も涙もない男」だとか「どこそこの記者を殴った」とか。
 もちろん殴ってなんかいないのに、ひどいね。
 さすがに落ち込んで、熱海の崖から飛び降りて死のうかなと思ったら、当時のディレクターの常田さんや母親の顔が浮かんできた。
 あっ、常田さん、泣いちゃうよ。母ちゃん、泣いちゃうよ。
 そう思ったら、死ねなくなった。だから死なないことにした。
 これ、優柔不断な性格も幸いしたね。
 仕事でもそうだけど、自分のためだけじゃなくて、誰かのためにやっていると、途中で投げ出さないよね。
 自分のためだけだと、つらくなると、やめてしまうでしょ。
 でも、たとえばお世話になった人にお返しをしたいと思ったら、途中で投げ出せないよ。
 ぼくなんか、まさにそうだった。
 コメディアンの才能がないってわかったけど、ぼくが子どものころ、借金取りに土下座して、泣いていた母親のことを思うと、途中でやめるわけにはいかなかった。
 極度のあがり症などでうまくセリフが言えず、演出家から「君は才能がないからやめたほうがいい」と言われて落ち込んだ。
 先輩芸人が演出家を説得し「大丈夫、演出の先生に言ってきた。ずっといていいよ」とぼくを引き止めた。
 その後、演出家から、
「萩本は才能がない。しかし、これほどいい返事をする若者はいない。あいつの“はい”は気持ちがいい。“はい”だけで置いてやってくれ」
 と、先輩芸人が説得したことを知らされた。
「芸能界はどんなに才能がなくても、たった1人でも応援する人がいたら必ず成功する」
「もしかしたら、お前を止めさせないでくれという応援者がいる。お前は成功するから頑張れ」
 と、言われ奮起した。
 誰も居ない劇場で早朝に大声を出す練習をしたり、先輩芸人の真似を何度も繰り返した。
 お金持ちになって、母親の家を建ててやりたとい思ったからね。
 伝記やイソップ物語にもずいぶん助けられました。
 偉くなった人や名を残した人って、子どものころや若いころに貧乏したり、ひどい目に遭っている人が多いでしょ。
 つらいことがあっても、これは運が育っていて、将来は運が開くんだと思えた。
 人生、つらいことや大変なことはあるけれど、見方や視点を変えることで、運を呼び込めることもある。
 ぼくが貧乏しているとき「今は運がたまっているときなんだ」と思ったようにね。
 人生、考え方一つ、行動一つで、楽しくなるんじゃないかな。
(萩本健一:1941年東京都生まれ、コメディアン。コント55号で人気を集めた。その後、テレビの司会・舞台などの演出などで活躍した。社会人野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」の監督として人気球団に育てた)

 

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子どもたちに「授業のふりかえり」を書かせるには、どうすればよいか   俵原正仁

 子どもたちに「授業のふりかえり」を書かせる方法について俵原正仁はつぎのように述べています。
 私は、討論のような発表が主体の授業の後には、子どもたちに必ず授業のふりかえりを書かせるよう
にしています。
 楽しかったけれど結局なんの勉強をしたのかわからない。
 自分の言いたいことだけを言ってわかった気になってしまう。
 授業中、黙って聞いていて何の活動もしなかった。
 子どもがいるかもしれません。
 だから、授業の最後に書く活動を行い、学んだことや、わからなかったことなどを振り返らす必要があるのです。
「授業のふりかえり」を書くことを、討論の前に、あらかじめ予告しておきます。
 そうすると、授業に対する真剣度や「聞く」意識が高くなります。
 書くことによって「聞く力」が伸びていくのです。
 何も教えないでいると「授業のふりかえり」が全く書けない子どもが出てきたりします。
 だから、私は「こういう感じで書いたらいいんですよ」とつぎのような例をあげます。
(1)今の自分の考え
(2)その時間の学び
(3)その時間にわかったこと
(4)友だちの発表ですごいなぁと思った意見
(5)発表しようと思ったけど、発表できなかった意見
(6)先生に対する質問、意見
(7)今日学んだことをどう生かしていくのか
 すべての項目を書かなくても、1つか2つ書ければいいのです。
 ただし、子どもたちに聞く力を伸ばしたいなぁと私が考えているときは、
「必ず(4)のことは書くんですよ」
 というように指定する場合はあります。
(俵原正仁:1963年兵庫県生まれ、兵庫県公立小学校校長。教材・授業開発研究所「笑育部会」代表)

 

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雰囲気のよい教室にするにはどうすればよいか   俵原正仁

 雰囲気のよい教室にするにはどうすればよいか、俵原正仁はつぎのように述べています。
 私は放課後、他の教室をウロウロ見て回ったことがあります。

「この教室には、あまり長居したくないな」と感じた、居心地の悪い教室の共通点は、
 机がきれいに並んでいない。

 ゴミが落ちている。
 黒板がきれいに消されていない。
 ロッカーが雑然としている。
 はがれかけた古い掲示物などです。
 居心地の悪い教室に一日中いると、落ち着いて生活や勉強なんてできません。

 ますます教師との関係もうまくいかなくなります。
 私は、まず、すぐにでもできる教室環境から整えていこうと考えました。
 ディズニーランドは、ほんの小さな傷や汚れなども見逃さず、つぎの日までに修繕をしっかり行うことで、お客さんのマナーを向上させています。
 私は教室にゴミが落ちていたら、すぐに拾って捨てます。

 翌朝、きれいな教室で過ごすために、放課後にビシッと片付けます。
 教師のこの姿勢、気づく子は気づきます。
 子どもたちのマナーも向上していきます。
 暗い場所にいると気分まで沈んできます。

 逆に明るい場所だと気分も明るくなります。
 教室を明るい雰囲気にするために、私は蛍光灯を拭きました。
 教室が明るくなります。効果てきめんです。
 店員が無愛想なお店には、行きたくありませんよね。

 やはり、雰囲気をよくするためには、笑顔が一番なんです。教室でも同じです。
 クラスの雰囲気を良くしようと思うのなら、笑顔の教師が、笑顔の教室をつくります。
 これは、いいクラスをつくるための黄金律です。
 笑顔がベースにあると、たまに見せる厳しい顔が子どもの心に響いていくのです。
 特に教師が最も笑顔を意識して過ごさないといけないのが、授業中です。

 子どもたちが何といっても一番長く過ごすのが授業の時間だからです。
 にもかかわらず授業中、表情の硬い教師が本当に多い。
(
俵原正仁:1963年兵庫県生まれ、兵庫県公立小学校校長、笑顔の教師が笑顔の子どもを育てる実践はマスコミにもとりあげられた。教材・授業開発研究所「笑育部会」代表)




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ノート指導で教師と子どもが仲よくなるには、どうすればよいか   俵原正仁

 子どもたちがノート活動しているその場で評価したことを、教師はすぐに子どもたちに伝えていきます。
 教師の感じたことや思いを子どもたちに返していくのです。
 このライブ感が教師と子どもたちの距離感を縮めてくれます。
 ノートを通じて教師と子ども、子どもどうしがなかよくなるようにします。
 そのために、ノートを利用してすべての子どもに声をかけ、なかよくなるようにします。
 たとえば、理科の実験のまとめで、ノートに、ハチのイラストを描いるのを見て
「○○君のこのイラストのキャラクターいいね。みんなに紹介してもいい?」
 と、○○君のノートをクラスのみんなに見せます。
「○○君のイラストはずこい」というクラスの雰囲気が作られ、彼の居場所ができるというわけです。
 さらに、他人の感じ方、思い方、考え方、生き方を尊重するようになり、仲間意識が育ってきます。
 教師が机間巡視の際、瞬時に判断し評価して、声をかけます。
 最初のうちは、子どもたちがノートに書いている内容を「瞬時に判断」して「評価」します。
 評価できないときは、とりあえず声をかけることを意識すればいいと思います。
 声をかけているうちに、教師のつぶやきのレベルも上がっていくはずです。
1 子どもの態度をほめる(レベル1)
「ノートをきちんと開いている。えらい」
「姿勢がいいなぁ」
「取りかかりが早い」
2 書いている量をほめる(レベル2)
「さっきより、たくさん書けています」
「へぇ、もう3行書けたの」
 このような声をかけられると、書くことのモチベーションが上がります。
3 書いている内容をほめる(レベル3)
 ほめると同時に、他の子どもたちに書くための視点を教えるといった意味があります。
「友だちの意見も書いているんだ」
「資料集を見て書いているのがいいね」
 子どもたちのノートをチェックする方法として、机間巡視をして子どもたちの横を通り過ぎるときに、サッとノートに赤ペンでまるを入れます。
 声かけとあわせてうまく使ってください。
 そのほかにノートをチェックする方法として、ノートを教師のところに持ってこさせる方法があります。このとき、長い行列をつくらないことが大切です。
 算数の場合、
「見るのは1問だけ」
「ヒントや指導などの声かけはせず、黙って○か×をつける」
 などをしていけば、行列はできなくなります。
 教師に見てもらったというチェックの意味もかねて、必ず全員のノートに赤ペンで何かを書くようにしています。
 じっくりと書く時間がありませんので、ほとんどの場合は花丸のみです。
 それでも、子どもたちはノートを見てもらい、満足して帰って行きます。
(俵原正仁:1963年兵庫県生まれ、兵庫県公立小学校校長。教材・授業開発研究所「笑育部会」代表)

 

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大人のずるさを敏感にキッャチし、押しつけを嫌がる小学校高学年の子どもに、人間のすごさを伝える

 体も心も変化する小学校の高学年の時期に、人間のほんもののすごさを伝えると子どもたちの背筋がシャンとなる。
 小学校高学年の子どもは体も心も変化する時期です。
 伝えたいのは人間のすごさです。
 この時期の子どもは、ほんもの志向です。
 大人は本気で子どもと向き合うことが要求されます。
 大人のなかにあるずるさやウソを敏感にキャッチし、大人の権威を押しつけられるのを嫌います。
 ほんものの大人にであったときの子どもの受けとめかたはすばらしいものがあります。
 私の学校では、そば職人といっしょにそばをつくる授業をします。
 職人のあざやかな技や、そばにかける職人の情熱をまのあたりにした子どもたちは、職業観を新たにします。
 以前、ホスピス(末期のがんなど治癒の困難な疾患にかかった患者とその家族に対して、快適な生活を送れるように支援およびケアを提供する)活動されている人を招いて子どもたちに語ってもらいました。
 私は子どもたちに死を教えるということに、不安がありました。
 しかし、患者が精いっぱい生きる姿を語られることによって、子どもたちは生きていることのすばらしさをしっかりと受けとめました。
 人間がシャンとする、というか、子どもの背筋がピンと伸びたような時間になりました。
(
行田稔彦:1947年新潟県生まれ、和光小学校・和光鶴川小学校校長、日本生活教育連盟委員長)

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 いじめは人間と人間との関係の現象として起きていると宮川俊彦はつぎのように述べています。
 私はいじめ問題は社会化の問題であると考えている。
 学級は同年齢の子どもたちが集まって疑似社会が形成されている。
 学級は自己の社会的な面を本人が自覚し、他者をも客観的に理解し、社会的関係を形成していくことを目的としている。
 自分自身の役割や能力の発揚の仕方、その手法を学ぶことを本義としている。
 いじめられたら、「なぜ私はいじめられるか」ということを分析し、解明していこうという探求がなければ、どうしようもない。
 以前、私のところに学校でボコボコにいじめられている子どもがきたことがある。
 なぜいじめられるか何回聞いても、みじめな気持ちがいっぱいで、冷静に自分を客観化し分析することはできなかった。
 そこで、私の取り巻きの子どもたちと力を合わせて分析をはじめた。
 共に考えてくれる仲間がいたりすると、冷静に自分を客観化する目はつちかわれていくものだ。
 よく聞くと、彼は「なぜいじめられているか」の認識はほとんど欠落していた。
 また、学級にどんな子がいるか、それがどういうタイプか、いじめる子はどういう傾向を持っているか、ほとんど知ろうとすらしなかった。
 いじめられて、いたたまれない。学校に行きたくない。
 いじめている連中に仕返ししたい。
 そのような反応が先行していて、自分を分析しつつ、自分を再編成するか、演出するか、構築するかに向けての認識も手法もほとんど欠落していた。
 さまざまなケースはあるとしても、私はこの傾向が多いのではないかと考えている。
 いじめられる子には、いじめやすい、いじめたくなる要素があることを疑ってはならない。
 きちんと分析し、とらえなければならない。
 そのままの素の自分でいたら、社会の中では立ち往生することもある。
 としたら、どういう自分を形成していけば現状でいじめられなくなるのか。
 この局面において、どういう自己演出、自己表現、ときには仮面化、あるいはある種の人格をまとうこと、自分自身の是正が必要か、これが具体的なテーマとしてのぼってくる。
 少なくとも人が社会で生きていくにはありのままではいられないという認識が必要である。
 多種多様な人間が相集う社会においては、臨機応変性や、自己のあり方、表現の仕方は必然として考えていかざるを得ないのは自明である。
 勉強しに学校へ行っているなどという程度の認識で学校をとらえる人はまだ多い。
 学校で社会を学ぶのだとか、社会化の自己をどう形成するのかという問題は枠外におかれてきた。
 私がこういうことをいくつかの現場で語ったときに、目から鱗だとか、さして考えたこともなかったという教師や親や子どもの声は多かった。
(宮川俊彦:1954-2014年、国語作文教育研究所所長、教育評論家。約40年におよぶ青少年の作文・表現教育活動を実践し、指導対象は二百万人を越える。表層指導だけではなく内面に分け入り、思考法や視点・読解などの表現に着目し、人間の存在から表現に到るプロセスを教育の対象にしていた)

 

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教師が子どもから信頼されるには、どのように接すればよいか  関根正明

 子どもと教師の心の交流が大切なのはゆうまでもありません。
 心の交流とは情緒的なものです。
 気持ちが通じ合ったというのは「自分の感じ」であり、相手との関わりの深さにつながります。
 子どもと教師が共に語り合い、遊び、共通体験を通してそれが成り立つのです。
 ある教師の実践です。
 放課後のだれもいなくなった教室に行き、その日の子どもと自分のやりとりを思い出します。
 子どもの氏名印が押してある一冊のノートをひろげ「今日、子どもと自分はどんな交流があったか」を書きます。
 何も思い出せない子どもにはチェックだけをしておきます。
 ひと月もたつとそのノートが自分の子どもを見る見方、傾向をわからせてくれます。
 マイナスの記録しか書いていない子には「よさを発見してそのよさにかかわっていこう」とか、子ども一人ひとりにかかわる、かかわり方を考えるのです。
「人を見る目」とは人の行動、言動からその人の性格とかを感じる能力といってもよいと思います。
 それはその人の精神的な成長によって変わります。
 教師の指示のとおり動かない子どもを「言うことを聞かない子」と、教師は思っています。
 教師の陥りやすい落とし穴だと考えられます。
 子どもを見る見方は教師自身の心のあり方です。
 親は子どもを自慢したい気持ちがあります。
 教師も親と同じで学級の子どもを信頼しなければなりません。
 子どもの信頼を裏切ることは、その子どもの願い裏切ることになります。
 当然その子の心に深い傷あとを残し、歪ませます。
 教師の心のありようが、子どもたちに大きな影響を及ぼすことを考えると、身の引きしまる思いがします。
 教師と子どもとの心理的な距離感が学級の人間関係を微妙なものにします。
 教師は子どもと自分のかかわり方を見つめ、考えることが大切です。
 それは当然、その場その時の自分の心のあり方も見ていくことになります。
「この世で一番難しいのは自分を見つめること、一番容易なのは他人を批判すること」と言われます。
 自分を見つめるとは、自分のよさも悪さも、まるごと見ていくことだから難しいのです。
 教師は平素、気持ちの穏やかなときに、自分が相手の立場になって考えてみたらいいと思います。
 教師は子どもに次のような態度で子どもに接したいと思います。
(1)自分がどう言ったかではなく、どう受け取られたかが、人間関係の基本であること。
(2)話し方には、自分の感情が出てしまう。自分の気持ち次第だということ。
(3)子どもを責めれば、自分が責められること。
 子どもを否定すれば、否定し返されること。
(4)子どもとの好ましい関係は受容を基盤にしていること。
(5)自分は素直であること。
 子どもを誤解したり、感情的に怒ってしまったら、素直にあやまること。
(6)子どもの自尊心を大切にすること。
(7)おだやかな笑顔と思いやりのある話し方で子どもに接すること。
 おだやかな顔つきでいられる心の状態であるから、自分の気持ちが素直に子どもに伝わる。
(関根正明:1931年生まれ、小・中学校教師、指導主事、東京都公立中学校校長、大学助教授を経て、山形大学講師を歴任。執筆活動をしながら、親や教師への相談、講演などにあたっている。アドバイスには定評がある)

 

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教師は包容力を大きくし人間を練っておかないと叱るときに過ちを犯す  関根正明

 教師は包容力を大きくし人間を練っておかないと叱るときに過ちを犯すと関根正明はつぎのように述べています。
 叱るという行為は、叱る人間の心の中をさらけ出すことだ。
 多くの人は気分屋のところがあって、その日の気分しだいで、怒ってしまうということが油断するとあるものだ。
 気に入る、気に入らないがその日の気分しだいで微妙にちがってくるから始末が悪い。
 私など、ついカッとなって、どなって子どもを叱るときがある。
 後になって自分はいったい何んであのようにどなったのだろうと、考えることがあった。
 カッとなったのは、結局、子どもの言動が自分の気に入らなかったからだ。
 自分が気に入る、気に入らないということで、自分は子どもを叱ったり、ほめたりする。
 実に自分本位で、自分のことながらイヤになる。
 教師は自分たちが、このようにして欲しいというパターンに合致する子どもは「いい子ども」として重きにおく。
 それに反する子どもは「よくない子ども」とレッテルをはって叱る。
 つまり教師は自分の中に「いい子どものイメージ」があって、その基準に反し、逸脱する子どもは否定する。
 教師は子どものためを思うから、叱るのだと思っている。
 教師は自分が正しい根拠によって子どもを叱っていると思い、自信を持っている。
 教師は自分が正義だと確信しているときは、傲慢になって、もっとも反省しにくいときでもある。
 教師はよほど包容力を大きく、人間を練っておかないと、とんでもない過ちを犯す。
(関根正明:1931年生まれ、小・中学校教師、指導主事、東京都公立中学校校長、大学助教授を経て、山形大学講師を歴任。執筆活動をしながら、親や教師への相談、講演などにあたっている。アドバイスには定評がある)

 

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お茶の侘び寂びの心とは何か   千 玄室

 戦後、日本が立ち直ってきたのは偉大な文化があったからです。
 その文化の主流がお茶道です。
 晩秋は、ススキがたなびいているばかり。
 この枯れきった大自然の風情こそ、ほんとうの侘びの世界で、そこに茶の境地がある。
 利休は、この心にさらに雪間の草の美と自然を力強く生きぬこうとする道理で、さらに一歩追究した。
 春四月、草木は色香を競い、野鳥も春を謳歌する。
 しかし、遠い山のいただきには白雪が消えず、山里には冬のなごりの雪が残っている。
 その下には草の新芽がふき出している。
 ものいわぬ草にも冬の試練に耐え抜いてきたという誇らしげな力強さが盛り上がってきている。
 これから動き出そうとする静寂の境地なのである。
 時到れば、はっしと発するこの堂々とした自然の力にいい知れぬ美と心を感得し、これこそ茶の道だけがもつ心でなければならないと説かれたのである。
 晩秋が行きついた陰の極、この雪間の草の春は、これから動き出そうとする陽のはじめである。
 それはまったく紙一重、背中あわせの距離にある。
 この両極をもたせなければ茶道はなりたたないとした利休の大きさはたとえようもなく広大である。
 無限の大道である。
 捨て身になって修業し、実践して、はじめて道がつけられるものなのである。
 私どもは雪間の草の美を見いだす感覚の鋭さをもたねばならない。
 そこに侘び寂びの心を把握し、この道の両極をしっかりわきまえなければならないのである。
 濃茶は抹茶のなかでも質のよいもの。
 一つの茶碗に練り、正客から順に回し飲みします。
 同じ器から同じものをいただく、そこに自然と和の気持ちが養われるのです。
 茶を共にいただき味わい、主は客に心をこめて、もてなしをなす。
「わび」「さび」が生まれるのも「もののあわれ」からで、「もの」に対するいたわり、すなわち自然観の表れであると、茶の湯者の珠光が弟子の古市播磨に与えた一紙がある。
 その『心の文』の中に、茶をする者の心掛けは、世のもののあわれを知り、我執を戒めることと記されている。
 もののあわれは自然体である。
「わび」は「侘(わ)ぶる」から生まれたものといわれ、飾りのないそのままの姿形をいう。
 西行や芭蕉は自然に振る舞えた「無」の境地にあった人であった。
「さび」は枯れ果てた中に芽生える自然の力を表し、何もかもそのもの一つにすがり生きようとする意でもある。
 どん底、すなわち何もないところから生きようとするところに「わび」「さび」の哲学が生まれる。
 日本人の精神的な支柱は、こうした無の境涯と生きようとする努力が自然とともにあるのだろう。
(千 玄室(せん げんしつ):1923年生まれ、1964年から2002年まで茶道の裏千家15代家元。世界60か国以上を訪問し、茶道を通じた世界平和と日本文化の国際的な理解の促進につくす。ユネスコ親善大使にも任命されている。京都大学大学院特任教授・大阪大学大学院客員教授として、伝統芸術研究領域における指導に当たる)

 

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私の授業が劇的に変わるきっかけとなったこととは   宮本博規

 授業が変わるきっかけとなったことについて宮本博規(注)はつぎのように述べています。
 私の授業が劇的に変わったきっかけは、筑波大学附属小学校と全国算数授業研究会との出会いで、先生方のすごい授業を観たときです。
 当時、私はまず子どもたちに教師が課題をしっかり与え、そこから勝負させればいいと思っていたのです。
 しかし、授業研究会では、子どものほうから問題提示の場面でもアプローチしてくるのです。
 私は教師が問題をしっかり把握させれば子どもたちは授業に乗ってくるだろうと思っていましたので、私は発想を変えなければいけないと思いました。
 教師が問題や考えを与えているうちは、授業はそこまでだと思ったのです。
 いかに自然に子どもの考え、発想を引き出すかが大切だし、授業は動き出す子どもたちのエネルギーをいかに引き出すかだ、と考えるようになりました。
 もう一つは、田中博史さんと一緒にテレビ番組をやって、テレビ局のディレクターの方々の意見を聞いたときです。
 発想がおもしろいし、意見が鋭いと思いました。
 あの人たちは映像で勝負しています。よく、
「それで本当に伝えたいことが見えていますか」
「その教具は本当に自然なのですか」
 と問われました。
 面積の授業のときに、子どもが操作しやすく扱いやすい小さな素材を使おうと思って提案すると、
「先生、それダイナミックなんですか」
 と、指摘されました。
 また、面積を比べる任意単位のものとして、消しゴムや押しピンを挙げると、
「消しゴムや押しピンで面積を比べるというのは、本当に子どもの自然な姿なのですか」
 と、問われました。
 振り返ってみると、私の授業が変わるきっかけは、
「自分が求めていた衝撃的な授業に出会ったり」
「自分にはない視点、自分が気づいていない視点で授業を問われたり」
 したときでした。
(宮本博規:1958年生まれ、元熊本県公立小学校校長・熊本市教育センター所長・全国算数授業研究会理事・基幹学力研究会幹事等を務めた)

 

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いじめが起きたとき、担任は子どもたちや保護者にどう対応すればよいか

 つぎのようないじめがあったとき、担任は子どもたちや保護者にどう対応すればよいでしょうか。
 
「中学一年生の男子生徒が数人の生徒からからかわれたり、シューズで頭をたたかれたりされるなどのいじめを受けていました」

「気づいたときには、かなりの時間が経過していて、わが子からの訴えをしばしば聞いていた保護者は、学校やいじめた生徒の保護者に対して不信感を強くしていました」
 このような数人でひとりの生徒をいじめた場合、罪の意識が弱く、反省を求められても「自分だけではない」と言い逃れをすることがあります。
 いじめた子どもを強く叱責し、いじめられた子どもを単にかばうやり方だけでは、一時的な抑止にはなっても本当の解決にはなりません。いじめが陰湿さを増す結果さえまねきません。
 緊急にとるべき措置と、長期的な取り組みが考えられます。
1 緊急の対応
 まず、子どもたちへの指導を通して、保護者への働きかけを考えなければなりません。
(1)
学級の子どもたち全員に対する指導
 
「いじめは人間として許されない行為であり、絶対にあってはならないこと」ということを理解させます。

 これはじっくりと理解させる以外にありません。
 そのなかで、自分はどうだったのか、を十分に考えさせます。

 いじめていた子ども、見ていた子ども、それぞれに本音が出せるように、教師がしっかりと共感的に受けとめていくことが大切です。
(2)
いじめていた子どもたちへの指導
 
「先生はいじめは絶対に許さない」という毅然とした態度が必要です。

 いじめの行為は厳しく指導しても、人間性まで否定してはなりません。
 いじめられた子どもの苦しい気持ちを伝えながら、教師の素直な気持ちを示します。
(3)
いじめられた子どもへの対応
 いじめられた子どもは身も心も傷ついています。その心身の保護に努めます。

「全校の教師で必ず守る」と約束し実行します。
 注意深く見守り、話を聞くなどして、かかわりを持ち続けることが大切です。
(4)
保護者への対応
 いじめられた子と保護者は、いじめた子と傍観者、気づいてくれなかった教師に不信感をつのらせています。

 教師はいじめを早く発見できなかったことを素直にわび、学校の指導体制と学級の子どもと保護者への働きかけの様子をしっかりと伝えます。
 傍観者もふくめ、いじめていた子どもの保護者に、いじめの全容と、どこがいけなかったのかをよく話し、いじめの本質をよく理解してもらいます。
「保護者の方々も教師の気持ちも、子どもたちみんなが健全に育ってほしいということで一致しています」

「いじめは悪いことです」
「間違ったことをしたとき力になってやるのが大人の責任ではないでしょうか」
 と、いじめられた子どもの苦しみ、痛みを教師の気持ちを交えて説きます。
2 長期的な取り組み
(1)
いじめられた子どもに対して
 家庭との連絡を密にしながら、本人にいろいろな活動の場をあたえ、そのなかの努力を認めることによって、自立への援助を行います。

 支え続けることによって、本人の意欲を引き出し、周囲の子どもたちが認める場へと導いていきます。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          
(2)
いじめをとりまく子どもたちに対して
 教師は子どもたちの人間関係をよくしていく努力を一層重ねていく必要があります。

 教師が子どもたちに思いやりのある接し方をすることによって、子どもたちの心のなかにも自然と思いやりの気持ちが生まれてきます。
 多くの活動の場を与えることによって、ストレスを発散させ、明るい雰囲気をつくり出すことに教師は努めます。
(3)
保護者に対して
 保護者とよく連携しながら、子どもたちの家庭での存在感や家族への貢献度を認めていく努力を続けてもらいます。

 学級懇談会など様々な機会に、教師から実例話を聞いたり、他の保護者と意見交換をしたりするなかで、子どもの成長段階に適した子どもたちへの接し方や、認める、ほめる、叱るなどを理解してもらうようにします。
(
松田素行:千葉県公立中学校校長,千葉県教育庁主幹,昭和学院短期大学教授を経て,文教大学教授
)



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授業のヤマ場をつくるコツとは   宮本博規

 授業のヤマ場をつくるコツについて宮本博規はつぎのように述べています。
 ヤマ場がドラマやスポーツをよりおもしろくし、感動へと導きます。
 授業もヤマ場がなければなりません。
 たとえば算数の授業は、問題を自分の力で解く時間は大切にしなければなりません。
 しかし、「授業のヤマ場は、共同解決の過程の中に来る」ことが多いので、
「早くみんなの考えを出し合い、よりよいものに高めたい」
 という意識をもたせたまま自力解決を終わらせたいと私は思っています。
 自力解決のときの「子どもの反応の把握」は、共同解決時に授業のヤマ場をつくり、より数理を確かなものにしていくためには必要不可欠な教師の活動なのです。
 私は、「子どもの反応の把握」がしやすいように次のように分類してとらえるようにしています。
1 数理までは達していない考え
 一応解決はできているが、その時間のねらいとなる考えまでは高まっていない。
2 つまずき
 解決の過程のどこかで誤っているか、行きづまっている。
3 数理をとらえている考え
 その時間のねらいとする数理をとらえている。もしくは数理に近い解決の仕方や考え方をしている。
 私は、反応の把握は反応予想を基に目に焼き付けていきます。
 どの反応から取り上げるのか考えます。
 次に、つまずきをどこでどう生かすのか、数理へ追い込む課題は予定どおりでいいのか、どんな発問で子どもたちの考えを数理へとつないでいくのかなど。
 子どもが課題に対して、本気で向かい合うためには、つぎのような教師のしかけがいるのです。
1 二つの選択肢が提示され「AかBか?」と子どもが葛藤する場面をつくる
 私がよくあげる例は、ジュースの液量を素材にし、
「2リットルを3人で同じように分けると、1人分は何リットルになるか?」
 という問題を提示し、解決を求めます。
 そうすると、クラス全体が1/3リットルと2/3リットルに分かれ、2つの意見が対立します。
2 子どもの「こだわり」が見えてくればヤマ場はつくれる
 こだわりは算数授業を展開する過程において、一人ひとりの子どもの中に自然に生まれるものです。
「どうしてこんな答えになるのだろう?」
「どこでやり方を間違ったんだろう?」
「この後どうすればいいのだろう?」
 これらの言葉は、ヤマ場をつくるうえで極めて大切な言葉です。
 授業の中でぜひとも生かし、数理に結びつける工夫をしなければならないのです。
(宮本博規:1958年生まれ、元熊本県公立小学校校長・熊本市教育センター所長・全国算数授業研究会理事・基幹学力研究会幹事等を務めた)

 

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よい授業を見ることが一番勉強になり、授業観が変わる  宮本博規

 よい授業を見ることで授業観が変わると宮本博規(注1)はつぎのように述べています。
 私は、地元熊本ですごい授業と出会いました。
 田中博史(注2)の「九九を使った問題解決」の授業でした。
 子どもがたとえば、「3×6=18」と好きな九九を言います。
 そこで授業者は1と8のカードを取り去ります。
 九九を5回唱えることで0から9までの数字カードをすべて使うことができるか、というものでした。
 飛び込みの授業とは思えませんでした。
 子どもの目の輝き、反応のよさ、追求意欲。
 私はカルチャーショックを覚えました。
 これまでの自分の実践とのレベルの違いをまざまざと実際の授業によって見せつけられたのです。
 これが、私の中で今でも目標の一つであり、最高に強烈な印象として脳裏に鮮やかに残っています。
 私は、新任の学校で先輩から、よい授業をつくるコツの1つとして「よい授業を見ること」という教えを受けました。
 よい授業をするためには「こんな授業がしたい」というビジョンがなくてはならないのです。
 まずは、みなさんの身近なところから探すのが一番でしょう。
 同じ学校で見いだすことができれば、それは幸運です。
 その教師の授業づくりを学ぶことです。
 次は、同じ地区の算数研究会の先輩や、県で著名な算数実践家の授業をみて、目を肥やしてほしいと思います。
 私が全国算数授業研究会に出かけていったのが、教師11年目のときでした。もっと早くから参加すべきだったと悔やんだものでした。
 今は情報化社会の時代。目標となるよい授業はインターネットでも手に入りますし、ビデオやDVDでも販売されています。
 しかし、お金と時間があれば、やはり「生の授業」が一番勉強になります。
(注1)宮本博規:1958年生まれ、元熊本県公立小学校校長・熊本市教育センター所長・全国算数授業研究会理事・基幹学力研究会幹事等を務めた。
(注2) 田中博史:1958年生まれ、山口県公立小学校教諭、筑波大学附属小学校教諭、同校副校長、「授業・人塾」教師塾代表、全国算数授業研究会会長、筑波大学学校数学教育学会理事、学習指導要領実施状況調査委員などを歴任。専門は算数教育等。

 

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保護者からの問い合わせや苦情に、どのようにすれば保護者と信頼関係がつくれるか   小山田 穣

 学校には様々な問い合わせや苦情が寄せられます。
 このようなとき、
「学校への不満や文句だと受け止め、親や子どもに原因や問題がある」
 と考えるか、
「学校が気づいていないところを教えてくれたのだと受け止め、そのための解決の方策を考える」
 かでは、その後の対処に大きな違いが出てきてしまいます。
 保護者との信頼関係づくりのためには
1 保護者に担任から、学習内容や学級の様子、子どもの様子をこまめに伝える
 このためには、学級だよりや連絡帳、授業参観や保護者会等で、
(1)日々の授業の状況
 今、指導のうえで力を入れていることやそのポイント。
(2)学級や子どもの様子
 学習や生活面でがんばっている姿、家庭にお願いしたいこと。
 などを日頃から伝えることが大切になります。
2 保護者と担任の双方向の協力を依頼する
 年度当初の保護者会や日頃の学級だより等で、
(1)「子どもの成長のためには学級と保護者の協力が必要であること」
(2)「そのためには、学級から子どもや学級の様子、協力してほしい」
 ことなどを伝えていくので、
(3)「家庭からも心配なこと、問い合わせ等ありましたら気軽にお伝えください」
 といった双方向の情報提供を大切にしていく担任の姿勢を示し、それに行動で丁寧に応えていくことが重要になります。
(小山田 穣:小学校教師、東京都教育委員会指導主事、校長を経て東京学芸大学特任教授)

 

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不幸なことが自分に降りかかったときどう考えればよいか、信仰とは   本多弘之

 不幸なことが自分に降りかかったときどう考えればよいか本多弘之(注1)はつぎのように述べています。
 不幸に見舞われたとき「なぜ、こんなことが自分に降りかかるのだろう」と、こんなふうに考えてしまうことは、だれにでもあると思います。
 そんな考えにとらわれてしまったとき、どのように考えればよいのでしょう。
 自分に与えられた事実は、自分の自由な選択によって、自分の思いであるのではないということです。
 そして、「いま、ある」という事実は、これはもう必然です。
 深い因縁のなかで、たまたまこの命を賜り、いまあるわけです。
 歎異抄によると、われわれの存在は深い因縁という大きなもののはたらきがあって、それによって、生かされ、いのちを賜っています。
 親鸞(注2)が説いた他力本願は、すべての人々を無限の光である阿弥陀仏が守ろうとする本願力で極楽浄土に導いてくださる、ということです。
 両手両足切断というハンディを持ちながらも、旅芸人として力強く生きた中村久子(注3)さんは、親鸞の教えに出会い、自らの障害を受け入れ、明るく生きることで人々に生きる力と光を与えました。
 地獄のようなつらい境遇でも、親鸞の教えに触れて、生きることができるのだという覚悟が生まれてきます。
 つらかった人生が喜びに変わるということを彼女は実感したのです。
 文明社会では、人間がつくった価値観で、落ちこぼれた人間は苦しめられるという状況があります。
 しかし、親鸞はこぼれ落ちたというところから、立ち上がることができるのだという視点を持っています。
 そこが親鸞のすごさなのだと思います。
 目をそむけて自分自身から逃げないで、しっかり受け止めると、阿弥陀仏の救済を感じることができ、自分自身を信じることができるのだと思います。
 人間はどれだけ真面目に努力しても、たどりつけない。
 そのことを知って、他力=阿弥陀仏の本願力のはたらきにおすがりする、というのが親鸞の説いたことなのです。
 弥陀というのは無限なる光・知恵・いのちなどいろいろな、意味があります。
 そして、いつまでもまもってくださるはたらきを阿弥陀といいます。
 自分では明るみを求めて生きてきたけれども、うちひしがれるようなことがあり、目の前には闇しかない、ということがあったとしても、これが自分自身のほんとうの姿であり、真実なのだというところまで理解できれば、そこにはもう明るみが来ている、ということなのです。
 信仰とは真実を信じることです。
 キリスト教には、イエス・キリストという絶対的な存在があります。罪ある人間が神様との関係において信心を持つということです。
 仏教は人間が感じている存在のあり方が間違っていると気づいたのが仏陀でした。
 人は自分に愛着し、自分があるのだと考えています。
 仏陀はそういうあり方が苦悩を生み出していくのだと気づいたのです。
 無我の境地になることであると。
 仏教は信じると大きなはたらきが出てきます。それによって、人生が変わります。
 阿弥陀の大きな眼差しの中に許されて与えられてあるのだということに気づくと、生きている意味があると感じられます。
 阿弥陀の知恵をいただいて、本願に全身をまかせることである。
 大きなはたらきに自分が生かされている、それに乗っているんだという感覚を取り戻すと、生きていることの肯定感が生まれます。勇気が与えられます。
 宗教の基本は、自分自身の眼がひらかれることによって、精神の明るみが得られ、物事の見方が変わることだと思います。
(注1)本多弘之:1938年生まれ、真宗大谷派の僧侶、仏教学者。元大谷大学助教授、親鸞仏教センター所長。
(注2) 親鸞:1173-1262年、浄土真宗の開祖。法然に師事し、阿弥陀仏の本願の力に頼ってのみ救われると説いた。
(注3)中村久子:1897-1968年、興行芸人、作家。凍傷が原因で両手・両足を切断した。
42歳の時「歎異抄」を知り、『無手無足』は仏より賜った身体、生かされている喜びと尊さを感じると感謝の言葉を述べ、「人間は肉体のみで生きるのではなく、心で生きるのだ」と語った。50歳頃より、執筆活動・講演活動・各施設慰問活動を始めた。

 

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教師は力量を高めるために、どう考え、具体的にどうすればよいか  鶴田清司

 教師は力量を高めるためにどうすればよいか鶴田清司はつぎのように述べている。
 教師であれば誰でも「よい授業をしたい」と願う。
 今の教科書は必要最小限のことしか書かれていない。
 教科書と教師用指導書があればそれなりの授業はできるだろうが、きわめて底の浅い学習にとどまる危険がある。
 したがって、教師は「生きた教科書」として、文化・科学・社会への理解を深めておく必要がある。
 すぐれた教師は本をたくさん読むといわれてきた。それは教育書だけでなく、さまざまな分野にも関心が向いている。
 これが教師自身の教養となって、人間としての幅広い知識、豊かなものの見方・考え方を形成していく。
 斎藤喜博は「授業者としての力」の前に、教養や経験の蓄積によって生じる「人間的な力」の必要性を説いている。
 何よりも教師自身が知的かつ魅力的な人間でなければならないのである。
 例えば、国語の授業で教師の読みが深くなければ、「わかりきったことをきく」という表面的なレベルで終わってしまう。
「子どもをゆり動かす」ような授業をするためには、常識的・一般的な教材解釈にとどまっていたのでは無理である。
 そのためには、日頃からすぐれた小説や詩にふれて、読む力を養っておくことが必要になる。
 毎日、子どもたちと接して教育活動を行っている以上、教師はコミニケーションの熟達者でなくてはならない。
 授業で教師の「発問・指示・説明・板書」などは明確でわかりやすいものでなくてはならない。
 また、子どもたちの発言を聞き取り、意見をつなげたり、まとめたりすることが適切にできなければならない。
 大村はまは、話し方の修業のために、話し言葉の本を多く読んだり、自分の授業の録音を聞いたり、社説の朗読を続けたり、よい講演を聞いて耳を養ったりしたという。
 佐藤学は、教師たちが日頃から授業を公開し、学び合う同僚性の関係をつくることが重要だと述べている。研究授業も1年間に1人最低5回は行うべきだという。
 確かに、自己流で授業をしていたら進歩や変革はない。他者からのコメントを受けることで、気づかなかったことがわかってくる。
 他の教師の授業を見ることでさまざまな知見が得られる。
 向山洋一は、プロ教師になる条件として、研究授業100回をあげている。「指導案を書く」「検討会をする」「文章で分析する」ことが前提になっている。
 稲垣忠彦が提唱する「授業のカンファレンス」は、授業者以外の多くの人の目を通して授業を多面的に検討する方法である。授業の録画を見て意見を述べ合う点が特徴である。
「授業づくりネットワーク」が開発した「ストップモーション方式」は、授業の録画を自由にストップをかけて、教師の意図や授業行為の意味・代案などについて話し合う。
 村川雅弘らが提唱する「ワークショップ型の授業研究」は、参加者一人ひとりが付箋紙にコメント(成果と課題)を書いて、それを整理・構造化するなかで授業を検討する。
 こうした授業研究によって、授業を改善するための情報を得ること、さらに実践力量を形成することが重要である。
 そのためには「本当に自分の授業の腕をみがきたい」「少しでも授業者として成長したい」という強烈な願いを持っていることが必要である。
 校内で授業を見せ合うだけでなく、外部の研究会に出かけて自分を高めるということも必要になる。
 例えば、教育技術の法則化運動で、すぐれた発問・指示を追試する。
 国語科では「教科研や文芸研方式」「読み研方式」「一読総合法」、理科では仮設授業研究会の「授業書」が知られていて、授業書に従って授業を進めていけばどの教師でも一定の成果が得られるという。
 算数科では「水道方式」が知られている。タイルを用いて数を「量の概念」としてとらえる。計算指導では「一般から特殊へ」という原則に基づいて指導する。
 自主的に民間の教育研究会に参加することは、身銭を切ることで「少しでも授業の腕をみがきたい」という意気込みに変わる。
 その場合、1つの研究会だけでなく、できればさまざまな研究会に参加し、そこから自分なりの授業スタイルを形成していくことが重要である。
 つまり、1つの授業スタイルに固定化することを避けるのである。
 授業に、絶対的な方法はありえない。いつでもどこでも同じようなパターンで授業をすることは有害である。
 さまざまなものから、幅広く学んで、よいところを摂取していくという姿勢がよい。長所だけを取り入れて自分なりの授業スタイルをつくっていくのである。
 これまで、民間の各教育研究会は、それぞれの理論・方法を絶対視する傾向があった。これが実践の閉塞化を生んでいた。異質なものから学び合うことが求められる。
 研究会の参加だけでなく、教育書、教育雑誌や、さまざまな専門情報誌を読み、理論的・実践的な研究成果から幅広く学ぶことによって、自分の合った授業スタイルをつくっていくことが望ましいのである。
 教師修業の道に終わりはない。「これで十分だ」と自分の授業に満足してしまうと、思わぬ停滞を生むことになる。
 絶えず高いところに目標を設定して、自ら学び続けることが最も重要である。
 自分の身のまわりに「話し方」の上手な教師がいたら、その技を盗んで自分のものにするというようにして、さまざまなものから学んで最終的に自分なりのスタイルをつくっていくようにしたい。
 しかし、授業の達人の表面的な部分をまねることを追いかけていくだけでは効果は一時的なものにとどまり、根本的な力量が形成されることは難しいだろう。
 授業の達人に潜んでいる願いや思想を理解しなければならない。理解することによって、その教師の行為の意味、今ここで行われている授業の意味が明らかになってくる。
 授業は不確実性がある。教室の状況を「目利きする力」、斎藤喜博がいう「見る力」が求められる。
 教師の力量を高めるためには、教室での出来事の意味をその場で「洞察」「省察」「反省」しながら対話的・協同的な学びを追求していく姿勢(反省的実践)が基本とならなければならない。
 授業の理論・技術はそのなかで授業の目標(ねらい)を効率的に達成するための補助手段と考えるべきである。
 向山洋一も「技術で解決できるのは、7,8%だ」と述べていた。それ以外の部分は教室の個々の状況のなかで反省的思考に委ねられているのである。
(鶴田清司:1955年生まれ、都留文科大学教授、全国大学国語教育学会理事長。専門分野は国語教育学)

 

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